渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

好きなものを好きということ

少し前に、文筆家の甲斐みのりさんのお話を聞く機会があった。
前から趣味へのこだわりになんとなく親しさを感じていたので、「近くに来る機会があるなら」と軽い気持ちで出かけていったが、彼女の話は私が忘れかけていた大事なものを思い出させてくれた。
それは、好きなものを好き!と言い続けることだ。

私はもうずいぶん長いこと、自分が何を好きで、何になりたいのか分からずにいた。
これまでの経験から、たとえ「これが好きだ」と思っていても、誰かにそれを否定されたり、からかわれたり蔑まれたりすることが死ぬほど恐ろしかったのだ。
だったらもう何も言わない方がましだ、黙っていよう。何もしなければ誰も文句は言わない。
でもそれは、とても退屈で苦しいことだ。

甲斐さんは何度も「これが好き」という気持ちを信じることについて話していたように思う。
例えば、今はネットが普及して、映画でも本でも食べ物でも、経験する前から他人の評価に影響されることが増えている。
それはとても便利で間違いがなさそうに思えるが、そこに自分自身の「好き」は反映されていない。
甲斐さんは、「入ったお店がたとえ微妙だったとしても、何か一つはいいところを見つけて帰りたい」と言っていた(根が貧乏性だから、と笑っていた)。
それを聴いて、私はポリアンナの「いいところ探し」だ!と嬉しくなった。
例えば昔ながらの喫茶店に入ったときにもよくあることで、出てくる食べ物や店の古さが微妙だとしても、店自体の雰囲気が自分にしっくり来て落ち着くようなことがある。
自分の感覚を信じるということ、そんなとても身近で簡単なことが、今はなんて遠くなってしまったことだろう。



甲斐さんは地方自治体の依頼を受け、観光パンフレットの制作にも協力されている。
その中で、和歌山県田辺市のパンフレットが例に挙げられた。
世界遺産熊野古道を抱えてはいるものの、そこ以外は観光客は素通りに近く、市の観光協会が「ほんっっとうに何もないところなんですが…」と何度も言いながらお願いしてきたという。それに甲斐さんは「何もないところなんてないですから」と応えて出かけて行った。
そのパンフレットは、観光名所案内と言うよりもまちあるきマップの趣だ。
どこにでもありそうな駅舎や喫茶店、町のひとびとをいつもとは違った目線で切り取っている。
それはただのっぺりと紹介をするだけでなく、「すてき!」というカラーで彩られた、新しい町の見方だ。
甲斐さんが「可愛い!」というたびに、市の人や町の人が「えっ、こんなのが可愛いんですか?」と驚いたそうだ。その「可愛い」が出るたび、だんだん町の人の顔が輝いてきて、「これがいいのなら、もっと良い場所がある」と教えてくれるようになったという。
実際にそのパンフレットを見ながら、確かに私の町でもできそうだと思えたし、逆に言えばこんな風に町を眺めたことがあったかなと新鮮に感じられた。

自分では自信の持てないもの、人に見せるようなものではないと思っていることが、誰かの目を通せば宝物のように感じられることがある。
目線を上げて何かを見るということは、価値を再認識するというより、その何かに新しい価値を見いだすということなのかもしれない。
彼女の話を聞いて、「好き」を信じる力の強さと、「好き」を途切れさせず見つけ続けていくことの凄みを感じた。

自信というのはどこからやってくるものだろうか。
それは、結局自分の中からでしかないのではないか。
甲斐さんは、昔何かになりたいとあがいていたころや、本を書きたいのに書けなかったころの苦しさについても話されていた。彼女も元々そんなに話すのが得意だった訳ではなく、ただ「本を書きたい」という気持ちはずっと心の中にあって、そこに向かって少しずつ進んでいったのだった。
みんなとことん落ち込むことがある。でも、どん底まで落ち込んでも状況は変わってはくれない。
目線を変えることが、状況を変えるのだ。

トークの後の帰り道、私は少し自分のことを信じてみてもいいのかな、と思えた。
それから、友人たちが今まで言ってくれた「あなたの話が好きだよ」という言葉をことさら大切にしたいとも。
振り返れば、私が「好きだ」と言ってきたものを近しい友人たちは決して蔑んだりはしなかった。自信をなくしていたのは、友人たちの話を聞かなかった自分のせいなのだ。

生きているかぎり、自分の言葉も心も捨て去ることはできない。だったらそれはどんなものであろうと、私の財産に違いない。
ドラえもん』にこんな言葉がある。
「どんなに勉強ができなくても、 どんなに喧嘩が弱くても どこかに君の宝石があるはずだよ。 その宝石を磨いて、 魂をピカピカに磨いて魅せてよ。」

みんなそれぞれに宝石を持って生きている。そう思うと、少し誇らしい気持ちになる。
心許なくとも「好き」の宝石を何とか光らせて、誰かに「ここにいるよ」と信号を送り続けよう。いつかどこからか返答の光が見えることを期待して。


■参考リンク

甲斐みのりさんのサイト「Loule」

北欧・暮らしの道具店:「好きを仕事に」 甲斐みのりさん