渚にて

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ペソアの憂鬱をかみしめて

EUフィルムデーズでポルトガル映画の上映があった。

その日の後半のトークには、この春に日本翻訳大賞に選ばれた『ガルヴェイアスの犬』(ジョゼ・ルイス・ペイショット)の翻訳家、木下眞穂さんもいらっしゃるということで、観に行くことにした。

上映作品は短編3作。

アナ・モレイラ『ウォーターパーク』、リカルド・レイテ『恐怖の装置』、そして見てみたかった『いかにしてフェルナンド・ペソーアはポルトガルを救ったか』だ。

 

フェルナンド・ペソアは、20世紀ポルトガルを代表する詩人であり、作家だ。

首都リスボンへ行けば、土産物屋のグッズに必ず彼の歩く姿が使われているほど有名な人物である。作品内容は全く異なるが、知名度夏目漱石みたいな感じ、というと分かりやすいかも知れない。

日本での知名度がどうかまでは私も不勉強なので分からないが、最近、『アナーキストの銀行家』(彩流社)が本邦初訳で出版され、SNSで話題を呼んでいた。そもそもポルトガル語は難しそうだという印象が強い。日本でポルトガル語というと大体ブラジルポルトガル語だし、そんな中でペソアの邦訳が出るということ自体、なかなか珍しいことなのだろう。とりわけペソアの言葉は複雑で大変そうだ。

 

映画『いかにしてフェルナンド・ペソーアはポルトガルを救ったか』は、ペソアが考案したコカ・コーラの宣伝コピーが検閲に引っかかり、以降約50年間ポルトガルコカ・コーラの輸入が禁止されたという史実に基づく皮肉なコメディーだ。ちなみに作品内ではコーラはコカ・ロカという名前になっている。

ペソアは『異名』という分身を使い、自分ではなくそれぞれの別人格として作品を書いた(『異名』は澤田直さんの『不穏の書』訳者あとがきによる)。映画にも登場する分身ーアルヴァロ・デ・カンポスはその一人で、コピーが思いつかず悩むペソアの前に現れ、彼にアイディアを授ける。

雇い主の受けも好評で、すぐさまコピーを載せたポスターが作られるのだが、検閲で「危険物」として扱われ、コカ・ロカは退廃的な飲み物として悪魔払いされてしまう…

 

 

 

このペソアがイケメンすぎて思わず笑ってしまった。

でもちゃんとペソア!俳優のカルロット・コッタ、かっこいいな~(本人は相当クレイジーらしい)。

トークによると、コカ・コーラサラザール独裁体制下の1927年に禁止され、70年代ごろまでは輸入されなかったらしい。「コカ」(薬物?)という名前も嫌われた原因では?とトークで触れられていた(ちなみにサラザールは厳格なカトリック信者だった)。

作品タイトルの『~救ったか』の、ペソアポルトガルを「救う」とはどういう意味なのかについて、木下さんは「セバスチャニズム」という言葉を上げていた。

 

1500年代半ばのポルトガル

もし王室に男児が生まれなければ、隣国スペインに支配権が移るかもしれないという中で、王子セバスティアン1世は産声を上げる。彼の誕生は国民から「待望王」と呼ばれ歓迎された。

大航海時代の先駆者となったポルトガルは、この頃世界各地に植民地を獲得していたが、香辛料貿易の利益は陰りを見せ、他国との植民地争いも激しくなっていた。

幼い頃からイエズス会の教育を受けて王となったセバスティアンは、やがて十字軍遠征を切望するようになる。

莫大な軍事費用をかけてモロッコへ進軍を果たすも、無謀な計画がたたって1578年、アルカセル・キビールの戦いで大敗。セバスティアンは敵陣に突っ込み戦死したとされているが、その行方は定かではないという説もある。

 

後継者のいなかったポルトガル王室は、スペイン・ハプスブルク家のフェリペ2世が王を兼任することになり、同君連合として併合された。スペイン支配下で、ポルトガルは次第に国力を失い衰退していく。

「セバスチャニズム」とは、その支配下の国民の間で生まれた思想だ。

戦死したはずの国王セバスティアンは実は生きていて、いつか我々の元へ帰ってくる。そしてポルトガルを復活させる…という願いだ。

ロッコ遠征ではさんざんな評価のセバスティアンだが、黒死病が流行した頃には医者を派遣し、リスボンに病院を作らせたというので、もしかしたら国民には好かれていたのかもしれない。

 

映画でのペソアは、このセバスティアンを重ねているのではないか、という話だった。

また、商売では成功しなかったペソアだが、もしもそのまま広告マンとして出世していたら、この国民的詩人は生まれておらず、ポルトガルにとっては大きな損失になっていたかもしれない。だから「救世主」ということになるのでは?というのが木下さんの意見だ。

確かにペソアは今なお読み継がれる文学を残したし、ポルトガルの観光にとっても大きな資源となっている。

 

私はまだペソア『不穏の書、断章』の途中までしか読めていないのだが(映画を見る前に急いで読んだ)、それこそ不穏で憂鬱がつきまとう文章の中にちらほらと彼の愛したであろうリスボンの街並みが垣間見える。

 

私は夏のゆったりとした夕べのバイシャの静寂が好きだ。とくに、昼の雑踏と対照(コントラスト)をなすこのあたりの静寂が好きだ。海軍工廠アルセナル)通り、税関(アルフアンデガ)通り、それにつづいて人気のない波止場にそって東へと伸びている長く寂しい通りーーそれらすべては、こんな夕べに私が彼らの孤独のなかに入り込んでゆくとき、その悲しさによって私を元気づける。そのとき、私は自分がいる時代よりも前の時代を生きるのだ。(略)

             (ベルナルド・ソアレス著『不穏の書』/澤田直訳)

 

(注*ソアレスペソアの『異名』の一人)

ドウラドーレス街、バイシャ、サン・ペドロ・アルカンタラ展望台から見下ろす赤茶けた屋根が織りなす風景、どこまでも広がるテージョ川

ペソアがぶらつき眺めた街は、観光客が増え静寂こそ失われたが、今もそこここに面影を残している。

 映画にも出てきた石畳や坂道、コメルシオ広場から見る川が彼の世界の一部だと思うと、 ペソアの抱えた憂鬱さや難解さすらも身近な隣人のもののように思えてくるから、ミーハーもあながち捨てたものではない。