渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

THE FRAGILE

Doctor Whoのクリスマススペシャルが無事に見られたのでその感想を書きたいのですが、まだ見ていない人もいるだろうしもう一回見ておきたいので、ちょっと置いておこう。

Twitterで流れてきたNINの1999年の作品『The Fragile』のリマスターとリミックスが凄まじいかっこよさだったので記録しておきたいなと思いました。ただ少し暗いので気をつけてね。

THE FRAGILE(CENTER) Remixed&masterd by Adrian Visby


いやー久々に聴いて震えが来た。
なぜ今頃The Fragile?と思っていたけど、今だからこそという言葉がわきあがってくる。もうあれから10年以上経ったんだなあ。
以下からは原典のThe Fragileの思い出話になるので、興味がない人は逃げてほしい。


そもそも私が洋楽にはまりたての頃、とにかく何でもいいからアホみたいに音楽を聴いていた時期があった。田舎の慢性的情報欠乏状態の中でもがくようにして見つけたのが、今はない地元のツタヤで手にした某音楽雑誌。その時の表紙がNINのトレント・レズナーだった。
誰かも知らない癖に、巻頭インタビューをむさぼるように読んで、それだけで気になって音楽を聴いていた。本当に好きかどうかもよく分からないままとにかく「好きになった」。

今振り返ると、たぶん私は音楽という体験自体を死ぬほど欲しがっていたんだと思う。テレビの音楽番組でかかるようなものじゃなくて、友達皆が好きだったビジュアルでもアイドルでもなくて。
やり方は拙くても世界が狭くて仕方がないから、もっと自分の知らないものが欲しかった。
そのおかげで、The Fragileは私にとっては忘れられない作品になった。
あの頃、まともにライブにすら行ったことがない田舎の学生だったのに、次はいつ来るか分からないNINの横浜公演に行きたがったのは、懐かしい思い出だ(もちろんそんな奇特な友人もお金もなかった)。
実際に作品をまともに手にしたのは受験終了時で、お祝いに友人がアルバムと地元のCD屋でもらったらしい私の好きだったバンドのポスターをくれたんだけど。

感覚というか肌触りというかたちでしか語れないが、この前後のNINはどちらかというと外側へと向かう攻撃的な作品が多かった気がする。しかしThe Fragileの音は、身の内からじわじわと侵食して、すべてを壊していくような音楽だ。
切り刻んで、小さくして、ミクロ大になって体中を駆け巡る憎悪や苦しみ、その周辺に流れる温かな血液や鼓動。そんなことを言うと何だか恐ろしく感じられるかもしれないが、その実そんなものはどこにでもある。
私の身体の中にも、あなたの身体の中にでも。




暗く歪んだ音の圧力のなかで、ひねりつぶされてかきまわされて、そこに抑えた声が静かに囁く。

"The Day The World Went Away"

I'd listen to the words he'd say
but in his voice I heard decay
the plastic face forced to portray
all the insides left cold and gray
there is a place that still remains
it eats the fear it eats the pain
the sweetest price he'll have to pay
the day the whole world went away

彼の言葉を俺は聴いた
だがそれは腐りきっていた
演じるよう強要される偽物の顔
内実は冷たく色をなくしたまま
それでも残る場所がある
それは恐れや苦しみを消し去ってくれる
彼が払うことになるこの上ない代償
すべての世界が消え去った日


それから、彼は「彼女」と一緒にいる。壊れる世界を見つめながら、あるいは逃げ出しながら。
We're in this togetherと歌う。


思春期の私がいかに暗かったかと言ったらそこまでだが、この時期にほかにこんな気持ちを伝えてくれるアイドルは果たしていただろうか。
あー皆ぶっこわれないかな。
明日全部消えないかな。
それでも私は消えたくないな。
虫のようにつぶされてでも、私は息をしていたい。
死んでしまえ。死にたくない。死にたくない。

そんな訳の分からない叫びが、皮膚が弾けて内側から外側へ飛び出しそうなほど、確かに身の内に存在していた。
私はそれを嫌ったが、顔を背けずよく見てみれば、その嫌悪は昔からよく馴染んだ感情だった。どうあっても切り離せない私の一部だった。
あの頃の苦しみや憎しみにありがとうと今なら言える。ありがとう、あなたたちがいなかったら私はきっと息をしていなかった。今も彼らは私の中に絶え間なく生き続けている。
綺麗事を言うのも無理で、言葉も頭も足りなくて、打ち解けて話せる相手も、伝えるすべすら持たないただの子供が、この歪んだ美しい音の中でやっと居場所を見つけられたのだ。

いつの時代も悲しみはそこらじゅうに転がっている。
誰の中にも憎悪は存在する。それを否定はできない。
それでもそれが血の通った音のかたちをしているならば、いずれ一人ではないことを知るだろう。
ただ無軌道にぶつけるだけではなく、誰かに伝えるすべを知るだろう。
大人になってから見たNINのライブで、会場を満たす静かな熱狂と興奮のなかで私はそれを実感した。
私たちは、一人ではない。