渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

本から生まれるユートピア

この前、高校時代の図書室の司書さんに久しぶりに会った。
私の大学入試後にご飯をおごってもらって以来だったので、彼女に気づいた時に私のことを覚えているだろうかとちょっと心配だったけれど、顔を見るなりがっしりとハグされた。

高校入学後に初めて図書室に入った時、好きな作家の本を見つけて駆け寄って叫んでしまった。友人が呆れてまさしく頭を抱えていたのを、ついこの間のことのように思い出す。
図書館や図書室という場所が好きだった私は、ジャンルにこだわらず隅々まで本棚を眺めてどこに何があるかを把握しておくのが得意だった。別に読書をするということに限らず、便覧や文庫目録のあらすじの全てをチェックするのが立派な暇つぶしになるようなタイプだったのだ。

司書さんと仲良くなって、図書室に通い詰めたおかげもあって、どうせ何かの委員にならなければならないならと高学年になってから図書委員に手を上げた。
図書委員の仕事はそんなに多いわけではない。ポスターを描いたり、おすすめの本の紹介をする便りを書いて、コピーするといったものだった。ポスターには図書室の中にある文学全集からかっこいいなと思った文句を選んで書きこんだ。たとえろくに読まれない便りにしても、友人と一緒に準備するのは結構わくわくするものだった。

その頃書いたのは、確か映画の話題が少しと、本はポール・オースターの『ムーン・パレス』、トルーマン・カポーティの『ミリアム』についてだった。カポーティはなんだかおしゃれそうだなと気になってはいたが、飽きっぽい私はあまり興味が続かなかったのか、短編の一話を読んだきりでやめてしまった。
オースターは、映画『スモーク』の原作となる作品や、脚本を書いた作家として知られる。最初に彼の本を手に取った時は、読む手が止まらずにすごい勢いでページをめくっていた記憶がある。見たことのないニューヨークの風景を脳裏に思い描きながら、(フォーチュンクッキー(おみくじ入りのやつ)ってどんなものだろう)と考えていた。


図書委員の仕事で、後にも先にも一度きりのとびきり興奮したことは、ある時司書さんに書店に連れて行ってもらって、「この中から好きな本を5冊選んで、図書室に入れよう」と言われたことだ。
何でもいいの?と信じられない気持ちで、本棚を真剣に見極めた。何が万人に人気なのかもよく分からず、結局は自分が気になる本ばかり集めてしまったが、好きな本を買えるというのはなんて贅沢なことなんだろうと思ったものだ。

最近ちょっと断捨離をして、積ん読になってしまっていた本やDVDを少し手放した。
大人になると、子供の頃には考えられなかったような贅沢に慣れてしまったのか、うきうきしながら買った本でも、そのまま本棚で埃を被っていることがよくある。
手放す本を選ぶ中で、読んだ本でも読めなかった本でも、それぞれに思い出はついて回るものだなと思った。
スパイやスチームパンクが気になっていた頃の本や、何年も前に行った旅先のガイド本、好きな話とそうでもない話が入り交じったアンソロジー、タイトルだけ気になってとりあえず買っておいた本。

この先私が何百年生きたとしても、この世には読み切れないたくさんの本がある。
せめて誰かが私の代わりに読んでくれたらいいと、断捨離した本を古本屋に売って、残った本を読んでいくことにした。
図書館もあまり近くになく、しばらく足が遠のいていたが、また少しずつ通っている。
本が手元にあると安心して読まない癖があるから、どうしても読みたい本だけ延長して、だめなら諦めて新しい本を借りる方がいいような気もしてきた。

少し前に久々に読んだ本は、W.B.イェーツの『赤毛のハンラハンと葦間の風』アイルランドの伝承に影響を受けた話で、女好きの放浪詩人ハンラハンの数奇な人生を描いている。ハンラハンは先日の日記に書いたコノート出身という設定らしい。栩木伸明さんの軽妙な訳で楽しく読めた。
そういえば、アイルランドという場所についてなんとなく知ったのも、音楽や本からだった。エンヤはもちろん、遊佐未森の『ロカ』(アイルランドのバンド『ナイトノイズ』が演奏、ドーナル・ラニーも参加していたという)、O.R.メリングのファンタジードルイドの歌』からも。


大人になってから、憧れだった場所に行ける機会もできた。
それでも、かつて本から想像を膨らませた場所は同じように頭のどこかに残っていて、まるでそこにいたことがあるかのように懐かしく思い出すことがある。
それも旅の一つなのだろう。現実とは別で、想像でしか行けない場所は確かにある。
本を通して、遠い昔の出来事や、自分とは全く違う人々を追ったり、遙か彼方の宇宙や、怪しげな舞台の裏にだって行ける。

そんな旅をもっと続けてみたいなと、残った本たちに睨まれながら考えている。