渚にて

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ポルトガル、君を愛してる!2 太陽は僕の敵 (Lisboa)

久しぶりのリスボンの旅の続き。前回はこちら。

■22,Jun,2015(2日目・リスボン

翌朝、リスボンの空は曇りだった。
ホテルの窓のカーテンを開けると、目の前の建物の少し煤けた窓枠や壁、薄紫のアズレージョが見える。
最初は案外くすんだ色の街なんだな、と内心少しがっかりしたのは確かだ。

近所のパン屋でご飯を食べてから(目の前でオレンジをしぼってくれるジュースの機械がある店だ)、フロントで今日の目的地、展望台としても有名なサン・ジョルジェ城へ向かうトラムが発車する駅を聞いた。
ホテルを出るときには、朝方とは打って変わって強い日差しが襲いかかってきた。青々とした空が広がり、同時に目に突き刺さるような光が街路を照らし出している。それはいままでに生きてきて、経験したことがないほどの明るさだった。

チーズとハムを入れてサンドにした。ジュースがたっぷり。スープは定番・刻みキャベツとじゃがいものカルド・ヴェルデ

日焼け止めも付けたし、帽子も長袖も着てサングラスまでかけている重装備だというのに、すべてを貫通しそうな勢いのすさまじい日光量だ。
目抜き通りのアウグスタ通りを冷やかしつつ南側へまっすぐ進むと、コメルシオ広場に出る。
ここには大航海時代に栄華を極めたマヌエル一世の宮殿と船着き場があったというが、1755年の大地震で灰燼に帰してしまった。
今では地震時の国王ジョゼ一世の騎馬像、そして壮麗な白い門が建っている。門に彫られているのはかのヴァスコ・ダ・ガマと、震災復興を指揮したボンバル侯爵なのだそうだ。


ジョゼ1世かな?



広場の向こうには、広大な海のようなテージョ川が広がっていた。

最初は本当に海だと思っていた。果てしないほどの広さ
それにしてもまぶしい。まぶしすぎる。
あまりの日光にめまいを起こしそうになりながら、地下鉄の駅でリスボンカード(メトロ、トラムなどが乗り放題になるカード)を買い、スリで悪名高い28番線のトラムでアルファマ地区へと向かった。

アルファマは、リスボンの中でも忌まわしい大地震の影響を免れた地区で、中世の面影を今に残す場所だという。
黄色い小さなトラムは、ガタガタと古めかしい音を立てながら狭い路地の間を進んでいった。その子心許ない音に、何だか花やしきの今にも壊れそうなジェットコースターを思い出してしまう。
電車と歩道の間のすきまなどほんのわずかしかないので、見ているこっちはぶつかりやしないかとはらはらする。そのうちにぐいぐいと坂を上り、地元の人でにぎわう食堂や小さな雑貨屋などを通り過ぎていくと、どこもかしこも気になって入りたくて仕方なくなる。

小高い丘の上でトラムを下車。
停車場の近くにはポーチになった場所があり、そこでは若い女の子たちがアズレージョを描いて修復していた。そばには濃いピンクの花々がカーテンのように咲き誇っていた。これはジャカランダなのだろうか?


声を掛けて写真を撮らせてもらう。暑そうだけど慣れっこなのかな


木があったポーチからサン・ジョルジェ城までは、勾配のきつい坂道が待ちかまえていた。
石畳の坂は路地の奥まで続き、どこまでも先が見えないほどだ。足腰が弱い人間にはたまったものではない。




坂道の先の高台にサン・ジョルジェ城の入り口があり、中は公園のようになっていた。アイスクリーム屋もあって、坂と太陽にやられた人たちの格好の休憩所になるだろう。
高台の要塞の歴史は紀元前2世紀にまでさかのぼると言われる。数々の民族が支配した後、中世のレコンキスタを経て、ムーア人の支配からキリスト教勢力下へと「奪還」される。
奪還したのは、初代ポルトガル王となるアルフォンソ・エンリケスだ。

現在見える城はまさに石造りの要塞という趣だ。
高台からはリスボンの赤い屋根の街並みが一望できる。風は強く、遮るものは何もなかった。

テージョ川を望む。中央が先ほどのコメルシオ広場

街の中心部の方角。赤い屋根がいっぱい。統一されているのはなにか理由があるのだろうか

サン・ジョルジェ参り

参考文献:
矢野有貴見『レトロな旅時間 ポルトガルへ』

(つづく)