渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

アイスランドは眠らない2 アークレイリは夏模様 (Akureyri)

■16,June,2014(2日目)

(1日目はこちら)

朝のレイキャヴィクは予想通り曇りだった。
レイキャヴィクという名前の由来は、「煙たなびく湾」とされている。
温泉の湯けむりと見間違えたことから付けられたらしいが、曇り空の消えないこの街にもよく似合っている。

乗り継ぎは昼近くからだったので、朝はゆったりと過ごせた。ホテルはレイキャヴィクの喧騒から少し離れた場所にある。1階のレストランのモーニングビュッフェも、朝早くからエクスカーションに出かける観光客が多いので人はまばら。どちらかというと上品なお年寄りが多かった。

朝ご飯。シンプルだけどちょっと色鮮やか。牛乳もバターもくせがなくて美味しい
受付のお姉さんにスーツケースを預かってもらい、空港へと出発。
レイキャビク国内空港で国内便に乗ってアークレイリへ行く。
こちらはさらにこじんまりとした空港で、何かのスポーツの団体客がカフェや待ち合い席にひしめき合っていた。突然彼らが歌いだしてびっくりしたが、何かいいことがあったのかな?
アークレイリは小さな飛行機で45分ほど。
驚いたのは、レイキャヴィクよりも晴れていて温かいことだった。



小さくて可愛いアークレイリの空港

普通に歩いて空港に入る

ホテルに着いた。おお、なんだかおされ…
と思いきや、なぜかベッドのすぐ裏がシャワーとトイレになってる(しかもカーテンのみ)
ホテルについて、「わあいい部屋だなあ」と思ってよく見たら、ベッドのすぐ裏がトイレとシャワーという物凄い設計だった。仕切られてないし、これはシャワーを使ったらすぐに部屋が湿気っぽくなっちゃうだろう。エコのためボディシャンプーがなかった。油断していたので手もちがなく、仕方なく街まで散歩がてら買いに行く。
外へ出ると北部とは思えない温かさ。コートが大げさな気すらしてきた。

地熱を利用した市営プールがあり、その近くの池にいたカモたち
アークレイリの街中へと下る途中。左は美術館
アークレイリの街はレイキャヴィクに次ぐアイスランド第2の都市。とはいえ人口は約17000人で、のんびりとした地方の町というイメージだ。
歴史をひもとくと、9世紀にスカンジナビアから移住してきたヘルギがエイヤーフィヤズル峡湾に集落を拓いたという。しかし実際に居住区として街の形成が始まったのは18世紀からだそうだ。
★アークレイリ徹底ガイド

観光客でにぎわうストリートは、ホテルからの急な坂を下ったダウンタウンにある。
本屋さんとカフェが一体になった店をのぞいてから、近場の青い壁と赤い帽子のような屋根が可愛いBlaa Kannan Cafeでお昼を食べることにした。

キッシュどっしり。近くのテーブルでは、韓国の学生っぽい女の子たちが楽しそうに会話していた
カフェ外観。目立つ目立つ
 翌日のエクスカーションツアーのバスターミナルの場所を確認しようと、ストリートに背を向けて歩いてみた。店は少なくなって、丘の上に古い小さな屋敷が見えた。近づいてみると、誰かの記念館みたいだ。受付の女の子が「ハロー。誰の記念館か知ってますか?」と尋ねてきた。「分からないけど、興味がある」と答えた。
記念館は、アイスランドの詩人で劇作家のマッティアース・ヨクムソン(Matthías Jochumsson(1835-1920))の家だった。彼はアイスランドの国歌Lofsöngur(讃美歌)を作詞した人物。
国歌採用時期自体は1945年と随分後になってからだ。キリスト教の国らしく、国歌もそれにならったのだろうか。


居間みたいなところかな

古いストーブ。すごくかっこいい
コンロは可愛らしい

奥さん。ガタイがよくて強そう。ヨクムソンは奥さんに頭が上がらず、「マンマ」と呼んでいたらしい

子だくさんヨクムソン大変だな…


子どもがたくさんいたわりには小さな家なので、さぞかし大変だったろうなあと思ってしまった。別荘…でもないのかな??
ちなみにアイスランド国歌はこういうのです。

記念館を後にし、街を見下ろす教会までやってきた。アークレイリ教会は1940年の建物。設計したグジョン・サムエルソン(Gudjon Samuelsson)はレイキャビクのモダンなハットルグリムス教会も手掛けている。



中央のステンドグラスは、WW2時に破壊された英・旧コヴェントリー聖堂のものだそう

教会も丘の上にあったが、ホテルはさらに坂道の上にあった。帰り路、ふくらはぎがぎしぎし言うのを感じながら歩いていく。坂の草原では、何か作業をしていたらしい若者たちがビニールシートを広げて楽しげにおしゃべりしていた。
いま何時だっけ。昼だっけ夜だっけ。とにかく明るい。レイキャビクの雲は何かの間違いだったんじゃないだろうか。ちなみにこの昼が続く白夜の違和感は深夜0時を回っても続き、あまりの明るさに気が狂いそうになった。


足腰が鍛えられる坂道

ホテルの廊下にあった、ヴァトナヨークトル氷河での奇跡の救出劇の話

アイスランドは海外観光客が増えて、最近も冬の遭難が増えているから本当に大変だなあと思いました

晩ごはんまで休んで、また街に行こうかと思ったけれど、坂道でばてた私はホテルで夕食をとることにした。
グラスワインとサラダと魚の包み焼き。これだけでも3千円以上はいっている気がする。おされだけどやっぱり高いぞ。
お魚は手のひらサイズなのだった

隣に座っていたおっちゃんが「どこから来たのか」と話しかけてきた。
 おっちゃんは観光バスの運転手らしい。名刺をくれた。いい人みたいなんだけど、会話はそんなに得意じゃないみたいで、一体何を話せばいいのかよく分からない。こまったなあともぐもぐ食べていると、食べている所の写真を撮ってくれた。おっちゃんは翌日の朝もホテルで「おはよう」と声をかけてくれた(しかしやはり会話は続かないのであった)。

私はといえば、朝食時、ワッフルを作るのに見事に失敗した。隣のおじさんが器用にきれいなワッフルを作るのを見て「ど、どうしたらいいんですかこれ剥がれません」と悲愴な顔で尋ねていた。

なんとか剥がれたワッフル、味は美味しい(主張)

(つづく)

アイスランドは眠らない 1 再び氷島を目指して (Copenhagen,Reykjavik)

■15,June,2014(1日目)

SASでコペンハーゲンのカストラップ空港に到着。
ちょうど午後4時で、Icelandairの乗り継ぎまでに約3時間の余裕があった。
初夏の空はまだまだ明るい。昼の感覚がおかしくなりそうだ。
機内では『グランド・ブタペスト・ホテル』を見て、ちょっと泣いた。それから時間をもてあますくらいならと、近場のコペンハーゲンの街中をぶらつこうと思った。
コペンハーゲン中央駅までは空港から鉄道で15分ほどの距離。
空港と中央駅の単語だけ頭に何度も忘れないように思い返しながら、車両に乗り込んだ。

コペンハーゲン中央駅。旅行者であふれている。観光案内書で地図をもらうも道に迷う始末



  

駅のまん前はおなじみの遊園地、チボリ公園がある。入り口前が待ち合わせに使われている様子は何となく浅草の浅草寺を彷彿とさせる。
前にも行ったニューハウンを目指したかったのに、名前をすっかり忘れていて道を聞けなかった。
スーパーや雑貨店をひやかし、素敵なカフェを眺め、重たいリュックを担いでふらふらと歩く。
★コペンハーゲン攻略マップ

コペンハーゲンのシティホール。
トルコっぽいフェスをやっていた。ケバブなどの出店もたくさんあったけど、コインがないので見てるだけぐぬぬ

 

『コーヒーをめぐる冒険』『FRANK』をやっていた

ニューハウンまで辿りつく前に体力がなくなった。悲しいかなくもってきたし、そんなに時間もないので断念。目抜き通りのストロイエまでは歩いていたのに!

荷物の重さに耐えきれず入ったおされカフェでケーキとカフェラテを頼む。

 

とにかくコペンハーゲンは自転車の街です

 

置物が可愛いよ

文字通りふらふらになった後で、必死に早歩きで駅まで戻ってコペンハーゲン終了。
さあここからが本番のアイスランドです。
今回は到着が夜9時近く。デンマークより2時間遅れているから午後11時に近い。
晩ごはんも兼ねてケーキでお腹いっぱいにしておいてよかった(前回の失敗を踏まえた。学習)。

 

コペンハーゲンからはさらに3時間10分かけてレイキャヴィクへ向かう。
白夜の北欧は初めてだ。
もう深夜になるというのに、空の上も下も明るい。
すごい、一体夜はどこに行ってしまったんだ!

ケフラヴィーク空港に到着。現金をちょっと両替して、バスに乗る。

 空港から首都レイキャヴィクまでのバスのバウチャーを見せて、何とかバスに乗り込む。面白かったのは、私に行き先を確認しに来たバスのスタッフが、日本人だったことだ。いつからここで働いているんだろう?
外は曇って雨が降っていた。風と雨粒に顔を打たれながら「ああ、アイスランドだなあ」と思った。
飛行機で着たままのフリースだけじゃ堪え切れない寒さだ。一番前の座席が残っていたのでそこに滑り込む。運転手にホテルの行き先を伝えて約45分、荒涼とした岩と苔だらけのハイウェイを越えてやっとレイキャヴィクの街中が見えてきた。BSIバスターミナルで、小型のバンに乗り換えてそれぞれのホテルへと向かう。
ケフラヴィーク空港~レイキャヴィク間のバス

しかし問題はここからだった。
寒さと眠さでぼんやりしていた私は、運転手に「ホテルここだよ!」と示されて慌てて荷物を抱えて降りた。
いや待ておっちゃん。
ユースホステル」と書いてあるぞ。
私は確かにホテルを予約したはずだ。しかし時すでに遅し、バンはさっさと行ってしまった。深夜、眠い、寒い、そして今どこかもよく分からないユースホステルに下ろされた私は、仕方なくユースホステルの受付へ向かった。受付のお姉さんは「うん、違うわね」と憐れんだ顔をすると、「タクシー呼んであげる」と電話をしてくれた。
やってきた運転手のおっちゃん(おじいちゃんだった。ちなみにアイスランドは定年が70歳近いらしい)は、「アイスランドで安いものは2つある。なんだと思う?」と尋ねてきた。ふらつく頭で「電気?」と答える。地熱発電アイスランドの代名詞だ。「あたり、それから水もだ。アイスランドで高いものは3つある。ガソリン、酒、…」。
「…」の部分がもうどうしても思い出せなかった。とりあえずタクシーの中でガソリンの話をされると悲しくなってくるからやめておっちゃん。
何とかホテルに着いたのは、デンマーク時間で12時を回ったころだった。
おふろ!!!

アイスランドは蛇口から地熱で温めた温泉水が出てくるよ。レイキャビクはとくに硫黄の香り
 

何とかかんとかホテルに辿りついてほっとした。
やっぱりシャワーでも中身が温泉だと何となく嬉しい。
翌日はスーツケースをホテルに預けて、北部のアークレイリまで飛んで1泊する。
さっさと寝ないと明日に響くぞと思いながら、ベッドにもぐりこんだ。

(つづく)

I Ain't Movin'/すきなものは

何も書けなかった。書くと辛いことを思い出すからだ。
もうちょっと前に、私はたぶんこれが最後だろうと思った。
この人の話を聞いたら、これが最後。これ以上は乾く。
皆器用だな、どうやって毎日何とかやってるのだろう。
私は誰かの言うことだけを聞いて今まで生きてきた。それでも思うようにはならないし、本当はそんなものは私じゃなかった。だから結局、上手くいかなかった。
ただ頷いているだけで乾いた。笑っているだけで乾いた。
何もかも意味がなかった。
私はだめだな、と思った。

中古で買ったDes'reeのアルバムをかけながら掃除をした。
掃除ができるのは、とりあえずいいことだ。
問題は曲だった。1曲目のYou Gotta Beはとても有名だしキャッチ―だけど、こんなに私はタフじゃない。聞いているともやもやしてきてぐったりするし、気分じゃなかった。
面倒くさくてしばらく適当に流していると、単純なアコースティックギターが聞こえてきた。こっちはさっきの曲よりもずっと飾り気がない。
この歌はなんだっけ、と思ってジャケットを見たら、I ain't movin'。表題曲だった。








Love is my passion
Love is my friend
Love is universal
Love never ends

愛は私の情熱
愛は私の友達
愛は普遍で
愛は尽きることはない

Then why am I faced with so much anger, so much pain?
Why should I hide? Why should I be ashamed?
Time is much too short to be living somebody elses life
I walk with dignity, I step with pride

なんでこんな怒りや苦しみにぶつかるんだろう
なんで隠れたり、辱められないといけないの?
誰かの人生を生きるには 時間は短すぎる
気高さを胸に歩き、プライドを持って踏み出そう

'cause I ain't movin' from my face,
from my race, from my history
I ain't movin' from my love,
my peaceful dove, it means too much to me
Loving self can be so hard
Honesty can be demanding
Learn to love yourself,
it's a great, great feeling

わたしは自分の顔や、
人種や、過去から逃げない
愛や、平穏からも
それはとても大切なことなの
自分を愛するのは難しいもの
正直でいないとね
自分を愛することを学んでみよう
それは大切な、素晴らしい感情だから

When you're down baby, I will set you free
I will be your remedy, I will be your tree
A wise man is clever, seldom ever speaks a word
A foolish man keeps talking, never is he heard

あなたが打ちのめされた時は 私が自由にしてあげる
あなたの治療薬になって、あなたの木になってみせる
賢い人はめったに無駄口を叩かないもの
愚かな人はしゃべり続けても 耳を傾けられることはない

Time's too lonely, too lonely without words
Future voices need to be heard
Eyebrows are always older than the beards
Momma said be brave, you've nothing to fear

でも黙って時を過ごすのは寂しすぎる
未来からの声を聞いてみて
年齢では人を判断できないでしょう
ママはこう言ってた、「勇敢になりなさい、恐れるものは何もない」

I ain't movin', I've been here long before
I ain't movin', cause I want more
I ain't movin', got my feet on the ground
As far as I'm concerned, love should win the rounds

私は逃げない ずっと前からここにいたの
私は逃げない だってもっと欲しいから
私は揺るがない ぐっと地に足を付けて
自分がそう思う限り、愛は勝つんだから


歌を聞いていて、(ああ、本当にそうだなあ)と単純に泣いた。
他人の人生を背負ってる場合じゃなかった。他人の気に入る顔をしている場合じゃなかった。
この歌がただ「強くなりなさい」だけじゃないのは嬉しかった。だってこれはどちらかというと、「自分が自分の味方」と言ってくれているから。
私は誰かのためじゃなくて、私を好きでいよう。私だけは私を好きでいよう、味方でいようと思った。

全てを隠しながらあえて書く。
私はやっぱり、あれが最後なんだろう。それはきっともう覆らない。
でも、好きなことは忘れないでおく。
Des'reeのI ain't movin'が好きだ。


ひと月の夏/この広い空の下で

■ひと月の夏(A Month In the Country)(英・1987)

1920年の夏、イングランド・ヨークシャーの田舎町にひとりの若者が降り立つ。
若者バーキンコリン・ファース)は、村の教会に描かれた中世の壁画の修復を任されていた。しかし彼は第一次世界大戦のパッシェンデール戦線でからくも生き延び、戦争の後遺症に苦しんでいたのだった。
教会の屋根裏に仮住まいをすることになったバーキンは、同じく戦争を経験し、教会脇で発掘作業にいそしむ男ムーン(ケネス・ブラナー)、好奇心旺盛な少女キャシー、そして教会の牧師キーチの美しい妻、アリス(ナターシャ・リチャードソン)たちと出会う。
壁画に込められた少しの謎と、夏の輝くばかりの自然と素朴な人々に囲まれるうち、バーキンの心は次第にほどけていく。




バーキンが土砂降りの中で村を訪れた翌日、屋根裏から外を見た彼は驚く。雨は上がり、地面は蒸気でけぶり、草は水滴に濡れきらきらと光る。空と草原は見渡す限り広がり、羊が呑気に歩いている。
バーキンは戦争の後遺症で吃音を発症している。駅長の娘キャシーは気にすることなく話しかけ、弟と一緒に母親から預かった食料と退屈しのぎに蓄音機を運んでくる。
彼と「隣人」となったムーンは、戦争の悲惨さを知るとは思えないほど、笑顔をたやさず気さくな男だ。バーキンはムーンのテントを訪れて、ティータイムをともにする。
村でもっとも堅苦しく退屈なのは教会の牧師キーチで、彼にはもったいないほどの美しい妻アリスにバーキンは心惹かれる。

原作者のJ.L.カーも言っているように、バーキンとアリスは確かに惹かれあっているにも関わらず、一定の距離を保ったままだ。触れ合ったところといえば、アリスが手ずから育てている白いバラをバーキンに折って差し出すシーンと、りんごを渡すシーンくらいか。
アリスは言葉にすらしないが、バーキンとともに村を飛び出したかったのかもしれない。バーキンも同じく、思いを胸に秘めたままだ。アリスからもらったバラをそっと自分の本の中にしのばせる場面がもどかしい。
小説ではキャシーの蓄音機で宗教曲が流されるが、映画ではWW1時のヒット曲Roses of Picardyを流す。バラに込めた彼らの気持ちを歌っているかのようだ。シナトラでも知られているようだが、色々なカバーがあるみたい。1917年のランバート・マーフィー版はこちら

Roses are shining in Picardy,
In the hush of the silver dew,
Roses are flow'ring in Picardy,
But there's never a rose like you!
And the roses will die with the summertime,
And our roads may be far apart,
But there's one rose that dies not in Picardy,
'Tis the rose that I keep in my heart

戦争の傷跡は、のどかな田舎町にも刻まれている。
バーキンが近郊の村へ説教の真似ごとをしに行く羽目になったとき、お礼にと呼ばれた家で、戦争で亡くなったその家の息子の写真を彼は目にする。彼は死の恐怖を思い出し、情緒不安定になる。教会まで走って行き、「神なんていない!!」と叫ぶバーキンが辛い。
一方のムーンも、決して戦争を忘れてはいなかった。後半で彼はバーキンに抑えていた心情を吐露する。教会の天国と地獄の壁画が彼らと重なって見える。地獄を体験してきた彼らは、もしかしたらずっと天国を探しているのかもしれない。
やがて彼らの仕事は終わり、生き生きとした夏も過ぎ去っていく。

原作にはない最後のシーンが好きだ。(*ネタバレです

村を去るバーキンは、老いた「今」のバーキンと視線を交わす。自らの「過去」となった教会に、老いたバーキンは再び足を踏み入れる。屋内には彼が復元した壁画が鮮やかに広がり、バーキンはかつてバラをしのばせたあの本を手にしている。彼の思い出の中で、オクスゴドビーのあの夏はきっと全く変わらずにそこにあるのだろう。


映画についての話。
コリン・ファースが26歳の時の作品。『アナザー・カントリー』から3年後に当たる。
監督は『スウィート・ノベンバー』のパット・オコーナー、音楽は『スノーマン』のハワード・ブレイク。
A Month in the Countryは元々テレビ映画用として検討されていたが、後に正式に映画化された。しかし低予算だったため、映画は約一カ月という短期間での撮影となった。
この撮影がむちゃくちゃ大変だったらしい。
主役の一人、ケネスに至っては2週間しか出演できず、夜には毎晩ロンドンのハマースミスで舞台に立っていたという。昼はムーン、夜はロミオ(『ロミオとジュリエット』)の二重生活だ。
作品の舞台はヨークシャーだが、実際のロケはバッキンガムシャーを中心に行われた。冒頭で機関車の着いた駅舎周辺はかろうじてノース・ヨークシャーのLevisham Railway Station。コリンのいた教会はRadnageのSt.Mary Churchだ。
コリンのインタビューにもあったが、夏の晴れ渡った田舎を映した作品にも関わらず、撮影時は大雨に見舞われていたそうだ。まさかと思うが、序盤の土砂降りはもしや本当の雨だったのかな?晴れ間を待って何とか撮影は続けられた。

■すべての参照リンク:wikipediaHelp this film!
(上右のサイトは20周年にリマスターDVD復活を希望して作られたサイト。本当に願ってやまない)

2010年にコリンと監督らとが作品について対談しています。
・Colin Firth, Kenith Trodd and Pat O'Connor talk about A Month in the Country 1/2

ちなみにこのフィルムは発表後長らく忘れられていたようで、熱心に探したワトキンスさんという人のおかげで2004年に何とか見つかったそう。
何と言うか、不運なのか幸運なのかよく分からない映画だ。
製作に関連した会社にもなく、監督やキャストのエージェントに問い合わせた結果、ケネス・ブラナーの秘書が手をまわしてくれ、なんとか倉庫で眠っていたフィルムを発見したらしい。さらにDVD制作をChannel4に訴えた結果、ようやく再発された。
とはいえ、DVDは今また廃盤になっているようだし、ファンサイトによると完全版は96分あったらしいが、ソフトに収録された映像は92分しかない。つまり4分は見ていない場面がある!
それにDVDの映像もお世辞にもそんなに高画質とはいえないのだ…。

この映画が大好きなファンはまだたくさんいると思う。
もうひと押しするならば、パブ?でケネスの話を聞いているときのコリンの顔が美しすぎて拝みたくなる。
願わくばブルーレイで、難しければDVDでもいいのでデジタルリマスタリングされた完全版で、あの美しい風景とコリンを見てみたい。
パッシェンデール戦線についても書きたかったけどさすがに長くなってきたので、次の機会に。

(続き)おまけのA.E.ハウスマンの詩について。


原作でバーキンは、思いを残した教会とオクスゴドビーを振り返り、19世紀の詩人A.E.ハウスマンを思う。ハウスマンはボーア戦争、WW1の時代を通じて次第に名が知られるようになったという。
ハウスマンの詩は序文にも掲げられている。

「ぼくは、ふと足をとめる、
別れにはまだ早い―
ぼくの手をとって聞かせてくれ、
きみの心の思いを」

J.L.カー/小野寺健訳「ひと月の夏」(白水Uブックス)より

バーキンの狂おしい気持ちが伝わってくるようだ。
調べたところ、ハウスマンの詩集"A Shropshire Lad"の一節のようだった。そっと載せておく。

XXXII. From far, from eve and morning

From far, from eve and morning
And yon twelve-winded sky,
The stuff of life to knit me
Blew hither: here am I.

Now-- for a breath I tarry
Nor yet disperse apart--
Take my hand quick and tell me,
What have you in your heart.

Speak now, and I will answer;
How shall I help you, say;
Ere to the wind's twelve quarters
I take my endless way.


Daughter/孤独という音楽

確か数年前の初夏、イングランドのライに行った時だった。
雑貨店に入ってギフトカードを冷やかしていた時に、そのBGMが突然耳に飛び込んできた。何となく気になって、鼻のあたりにピアスのあった店員の女の子に「これは何ていう曲?」と尋ねた。
「Youth」
そう彼女は言ったけれど、上手く聴きとれていなさそうな顔をしていた私に、彼女はもう一度メモにぐりぐりとペンで「Youth」と書いてよこした。

受け取った私は、帰国してからメモを手掛かりにネットで音楽を調べた。てっきりバンド名だと思い込んでいた名前は、実は曲のタイトルだった。

きっとBGMは、あの店員が自前で持ってきていたものに違いない。そうでなければ、タイトルを即座に答えるなんて難しいはずだもの。
最近読んでいたグレアム・グリーン『情事の終り』によく似合って、思わずぐっときてしまった。

Daughter/Youth



  
曲の名前はYouth。バンド名はDaughter。
2010年にイギリスの4ADというインディーズレーベルからデビューした3人組のバンドだ。ボーカルはロンドン北部出身のエレナ、ギターはスイス生まれのイゴール、ドラムはフランス出身のレミ。ちなみに4ADは1979年に誕生した伝統あるレーベルで、これまでにコクトー・ツインズDead Can Dance、Deerhunter、近年ではBon Iverなどを輩出している。
wikiによると、エレナは幼いころから、ダブリン生まれの祖父を通じて伝統音楽の素養を身に付けた。最初にロックらしい音楽に触れたのはジェフ・バックリィのGrace。やがてエレナはロンドンでイゴールと出会い、一緒にバンドを始める。
デモを経て、デビューEPとなるHis Young Heartを発表したのは11年、同年秋にもう一つのEPであるThe Wild Youthを送り出し、徐々に評価が高まった。

2013年、デビューアルバムのIf You Leaveを発表。
ピュアで儚げなエレナの声と冷えた温度のギター、フォークからポストロック…というかエクスペリメンタルの要素を感じる音。曲調は一貫して内省的な雰囲気だ。
店先で初めて聴いた時、素直に「きれいだ」と思った。
アルバムの収録曲であるYouthは、ドラマの『グレイズ・アナトミー』や『アロー』などさまざまな番組で使用され、彼らの名前は一躍知られるようになったようだ。Medicineは『パーソン・オブ・インタレスト』でも使われたのかな?

Daughter/Medicine


来年早々にセカンドアルバムが予定されているが、作品がまだ1枚しか出ていない割りには注目度が高い気がする。エクスペリメンタルでありつつ、耳に残りやすいキャッチーな要素もあるのが魅力なのかもしれない。
最近では11月のイベントに合わせて初来日も果たした。今度はぜひ単独でも来てもらいたいな、と思う。冬時期に似あうし、今一番肌感覚に合うバンドだ。
■The Guardianのレビュー

ちなみに『情事の終り』はコリン・ファース朗読のオーディオブックを買った故に読んでいたのでした。ミステリーみたいで後半になるほど一寸先の展開が読めず、とても面白かった。
一方オーディオブックですが、コリンに「これは憎しみの記録である」と言われた日には…!!察していただきたい。

やっぱり一番好きなYouthの歌詞を置いておく(完全意訳なので間違っていたらすみません…)。

Youth

Shadows settle on the place that you left
Our minds are troubled by the emptiness
Destroy the middle it's a waste of time
From the perfect start to the finish line

あなたが去った場所に影が落ちる
私たちの心は空虚に戸惑うばかり
中間地点なんて壊して 時間の無駄だから
最終地点へ向かう 完璧なスタートには

And if you're still breathing, you're the lucky ones
'Cause most of us are heaving through corrupted lungs
Setting fire to our insides for fun
Collecting names of the lovers that went wrong
The lovers that went wrong

もしもあなたが息をしているなら、ラッキーだね
だってほとんどの人は肺を病んで 唸っているんだもの
戯れに火遊びを楽しんでみる
上手くいかなかった恋人たちの名前を集めて
上手くいかなかった 恋人たちの

We are the reckless
We are the wild youth
Chasing visions of our futures
One day we'll reveal the truth
That one will die before he gets there

私たちは向こう見ずで
手に負えない若者
未来という幻想を追っては
いつか 真実を白日の元に晒す
そこにたどり着くまでに 誰かは息絶えるという真実を

And if you're still bleeding, you're the lucky ones
'Cause most of our feelings, they are dead and they are gone
We're setting fire to our insides for fun
Collecting pictures from the flood that wrecked our home
It was a flood that wrecked this

もしもあなたが血を流しているのなら、ラッキーだね
だって感情の大半は 息絶え失われるものだから
戯れに火遊びもしてる
私たちの帰る場所を壊した この奔流の中で 写真を集めよう
そう ここを壊したのは 奔流

And you caused it
And you caused it
And you caused it

あなたのせいだよ
あなたのせい
あなたのせいだよ

Well, I've lost it all, I'm just a silhouette
A lifeless face that you'll soon forget
My eyes are damp from the words you left
Ringing in my head, when you broke my chest
Ringing in my head, when you broke my chest

何もかも失って、私はもうただの影になる
すぐに忘れ去られる 抜け殻みたいな顔に 
あなたの言葉で 私の目は滲む
あなたが私を傷つけると 頭が割れそうに痛い
あなたが私を傷つけると 頭が割れそうに痛い

And if you're in love, then you are the lucky one
'Cause most of us are bitter over someone
Setting fire to our insides for fun
To distract our hearts from ever missing them
But I'm forever missing him

もしもあなたが恋をしているなら、ラッキーだね
だって皆 人には冷たいものだから
戯れに火遊びに手を染める
失った誰かたちから気をそらすために
でも私は 彼を 永遠に見失ってしまった

And you caused it
And you caused it
And you caused it

 

あなたのせいだよ
あなたのせい
あなたのせいだよ

 

シングルマン/触れるものはみな命に満ちあふれて

シングルマン(米・2009)

1962年、ロサンゼルス。

恋人のジム(マシュー・グード)を交通事故で失ったイギリス人の大学教授ジョージ(コリン・ファース)は、ある朝自殺を決意し、準備を整える。

用意した拳銃を鞄に潜め、一見普段と変わらない一日を過ごす彼に、生徒のケニー(ニコラス・ホルト)が声をかけてくる。
一日は少しずつ終わりへと近付いていくが、ジョージが目にする光景はどれも色鮮やかに息づくのだった。

youtu.be


  

ファッションデザイナー、トム・フォードが初監督を務めた作品。原作はイギリスの小説家クリストファー・イシャーウッド。
ジョージは16年もの間連れ添った恋人ジムを失って以来、喪失感に駆られている。

普段は家政婦が手伝いにくるほかは家では一人きりで、昔関係のあった親友チャーリー(ジュリアン・ムーア)を訪ねて会話を楽しんでいる。


彼の一日は至極規則的で、表情を抑えたまま何とかやり過ごしている。対照的にジョージの脳裏にフラッシュバックするジムとの思い出はどれもリラックスしたものばかりで、彼の置かれた孤独を鮮明にしている。


折しも世間はキューバ危機の話題でもちきりだ。

不穏な空気が漂い、人々はどこか落ち着かずにいる。死を決めたジョージは我関せず、自らに秘めた孤独にただ覆われている。しかしその悲愴な覚悟は、彼に意外な発見をもたらす。一分一秒、出会う人々がみな生き生きと輝いて見えるのだ。

死を前にして、生命の色彩に彼はうたれる。

一人の男が自殺を決意し淡々と一日を過ごしていくだけの話なのに、どうしても目が離せなかった。
コリン・ファース演じるジョージは、目に込められた感情がとても豊かだ。
ジョージは一人の時や親しい人の前以外では感情をあまり表ざたにしないが、彼の目を見ているとその胸のうちに秘めた苦しみや悲しさ、あるいは喜びが伝わってくる。
画面も美しい。ジョージがひとりで朝の準備をこなす場面、『サイコ』(よく考えたらこれも死の直前だ)の描かれた壁の前で行きずりの男と煙草を吸う場面、チャーリーと笑いながらダンスを踊る場面、後半に行くに従って画面はさまざまな色どりにあふれる。

メイキングのインタビューで、確かトム・フォードは「今を生きること」がこの映画のテーマだと語った。ジムとの過去に生きたジョージが全てを捨て去る決心をした日、彼はきっと「今」に気付いたのだろう。

今生きているものの美しさや力を感じること。その日その時を生きることの意味を恐らく彼は知った。
この物語は確かに悲しい話なのだろうが、ただ悲劇として片付ける気にはなれない。
生きることは無駄ではない。誰かと結びつく瞬間があるならば、その一瞬にさえ命は宿っている。

ジョージの家はガラス張りが印象的なモダンな建築だが、実際にロサンゼルスにある家らしい。フランク・ロイド・ライトの弟子、ジョン・ロートナーの設計だそうだ。
振り返って気付いたがジョージは序盤、よくガラス越しに何かを見ている(あるいは見られている)。

それはジムの記憶であったり、近所のクソ坊主であったりする。

彼がガラスを開けているのは、彼が窓を開け放しにしたままの車に戻ったとき、ニコラス・ホルト演じるケニーが駐車場で声を掛けてくるシーンだ。

その時ケニーは恐らく、ジョージの心に入り込んだのだろう。ガラス窓に隔たれていたジョージと彼を囲む「外(他者)」の世界は、少しずつ近づいていく。

正直な感想もいっとこう。
コリンが可愛かったです…(そこか)!!
トム・フォードがデザインした衣装はコリンとニコラス君ののみらしいけど、どちらもよく似合っていたなあ。特にジョージがきちんとアイロンをかけられたシャツを日数分用意して棚にしまってあるのが印象的で。

でも彼は「毎日こうしてジョージにならなければならない」とモノローグで呟いている。彼の今にも壊れそうな体裁を何とか取り繕っているのが、あの衣装なのだろう。

最後にあの服を脱ぎ去っていくのは象徴的な気がした。
とにかく私のツボにハマった映画で、すごく好きでした。音楽もよかったな…。

おまけ:トム・フォードインタビュー

 

Tom Ford on "A Single Man"

 

 

ニコラス・ホルトマシュー・グードのもあった!

A Single Man:Actor Colin Firth(2010)

 
本当にシングルマンのかよく分からないけどこっちのインタビューも後で見よう。
 
 

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール/彼らの行方不明の神様

■ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール(英・2014)

スコットランドグラスゴーのとある街はずれの病院。心を病んで個室に入院していた少女イヴは、退屈を紛らわすためにラジオを聴き、ひとり音楽を作って心を慰めていた。
ある日病院を飛び出して出かけたライブハウスで、イヴはギターを弾くジェームズと出会う。さらに彼の友達のキャシーとも知りあうことに。
どこかぱっとしない日々を過ごしていた三人は意気投合し、バンドを組むことにする。





「神様、彼女を助けてあげて」
イヴは自分で初めて作った歌をテープに吹き込み、自作のジャケットに"God help the girl"と書く。彼女は失恋の痛手が原因なのか、オーストラリアからはるばるやってきたグラスゴーで一人きりで入院生活を送っている。
彼女が出会うジェームズは眼鏡にひょろ長い体という、いかにも草食男子らしいスタイルで、彼曰く「チンピラの多い」この街では浮いていて居心地が悪そう。もともと彼はイングランド生活のほうが長かったのに、またこの街に戻ってきた「よそ者」でもある。キャシーはキャシーで、裕福そうな家の世間知らずなお嬢さん。彼らの運命的な出会いは、一気に音楽という表現へと向かっていく。

この初々しいミュージカル映画を監督したのはスチュアート・マードック
言わずと知られた、グラスゴーミュージックの筆頭格ベル・アンド・セバスチャンのフロントマンだ。恐らく彼の見た風景や心象、音楽がこの映画には大きく反映されている。
個室のベッドでラジオに耳を澄ませる少女、DJが話題にしているのはニック・ドレイク(!)、イヴが病院で挑戦する録音(しかもテープに)という、映画のあちこちに仕掛けられたネタに、気恥ずかしくなりながらも共感してしまう人は多いんじゃないだろうか。

病院では死んだように暮らしていたイヴが、外へ出て心を開けるのは歌を歌う時だ。
自分の思いをすぐに歌にできるイヴの才能と、彼女自身に魅了されたジェームズは、イヴへの思いを秘めながら同じアパートメントに暮らす。小悪魔みたいに可愛くて自分勝手で、それでもやはり孤独なイヴは、彼の前に現われては消えるまぼろしのようだ。
彼らの日々は駆け足で去っていく。
3人一緒だった足並みは次第にそれぞれの方向へとずれていき、心もすれ違う。
それは私がこれまで出会った、いろんなバンドと似ている。
一瞬泣けてきたのは、イヴが一人きりになって朦朧として見る夢に、3人でふざけ合いながら遊んだ記憶や幻覚?があふれだしてくるシーン。孤独に打ちひしがれながらも、友人や音楽と向きあった彼女の日々が確かにそこにあったと実感したからだ。

「神様、私を助けて」と願ったあとで、イヴはきっと絶望と希望を同時に味わった。
神様は外ではなく自分の中にいるもので、簡単に手を差し伸べてはくれない。それどころか、自分で立ちあがらないといけなくなる。
自分の内なる声が示したほうへ、彼らはそれぞれ進んでいく。彼らなりの歩幅で。


最後のジェームズの言葉が「ばかー!!」と思いながらも泣けた…。
この映画、製作を大手の映画会社に断られて資金集めが大変だったらしい。キックスターターで世界中から出資を募り、12万ドルを集めたとか。エンドロールで出資者の名前がずらりと並ぶ様をみて、いいなあ私も出資したかったなあと思ってしまった。


イヴを見ていたらベルセバのBeautifulという曲を思い出したのでそっと置いておく。




"Beautiful"

She lay in bed all night watching the colours change
She lay in bed all night watching the morning change
She lay in bed all night watching the morning change into green and gold

彼女はベッドで夜通し 色が変わるのを眺めてる
彼女はベッドで夜通し 朝へと移ろう様を眺めてる
彼女はベッドで夜通し 朝が緑や金色に彩られていくのを眺めてる

The doctor told her years ago that she was ill
The doctor told her years ago to take a pill
The doctor told her years ago that she'd go blind if she wasn't careful

医者は何年も前に 彼女が病気だと言った
「ピルを飲まなきゃいけません」
もう何年も前に
「気を付けないと目が見えなくなるよ」と

They let Lisa go blind
The world was at her feet and she was looking down
They let Lisa go blind
And everyone she knew thought she was beautiful
Only slightly mental
Beautiful, only temperamental
Beautiful, only slightly mental
Beautiful

彼らはリサを盲目にした
足元にある世界を彼女は見下ろしていた
彼らはリサを盲目にした
彼女の知り合いはみんな 彼女をきれいだと思った
ちょっと精神を病んでるだけで
きれいな子、神経質なだけ
きれいな子、ただちょっと病気なだけ
きれいな子

(以下略)