渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

ひと月の夏/この広い空の下で

■ひと月の夏(A Month In the Country)(英・1987)

1920年の夏、イングランド・ヨークシャーの田舎町にひとりの若者が降り立つ。
若者バーキンコリン・ファース)は、村の教会に描かれた中世の壁画の修復を任されていた。しかし彼は第一次世界大戦のパッシェンデール戦線でからくも生き延び、戦争の後遺症に苦しんでいたのだった。
教会の屋根裏に仮住まいをすることになったバーキンは、同じく戦争を経験し、教会脇で発掘作業にいそしむ男ムーン(ケネス・ブラナー)、好奇心旺盛な少女キャシー、そして教会の牧師キーチの美しい妻、アリス(ナターシャ・リチャードソン)たちと出会う。
壁画に込められた少しの謎と、夏の輝くばかりの自然と素朴な人々に囲まれるうち、バーキンの心は次第にほどけていく。




バーキンが土砂降りの中で村を訪れた翌日、屋根裏から外を見た彼は驚く。雨は上がり、地面は蒸気でけぶり、草は水滴に濡れきらきらと光る。空と草原は見渡す限り広がり、羊が呑気に歩いている。
バーキンは戦争の後遺症で吃音を発症している。駅長の娘キャシーは気にすることなく話しかけ、弟と一緒に母親から預かった食料と退屈しのぎに蓄音機を運んでくる。
彼と「隣人」となったムーンは、戦争の悲惨さを知るとは思えないほど、笑顔をたやさず気さくな男だ。バーキンはムーンのテントを訪れて、ティータイムをともにする。
村でもっとも堅苦しく退屈なのは教会の牧師キーチで、彼にはもったいないほどの美しい妻アリスにバーキンは心惹かれる。

原作者のJ.L.カーも言っているように、バーキンとアリスは確かに惹かれあっているにも関わらず、一定の距離を保ったままだ。触れ合ったところといえば、アリスが手ずから育てている白いバラをバーキンに折って差し出すシーンと、りんごを渡すシーンくらいか。
アリスは言葉にすらしないが、バーキンとともに村を飛び出したかったのかもしれない。バーキンも同じく、思いを胸に秘めたままだ。アリスからもらったバラをそっと自分の本の中にしのばせる場面がもどかしい。
小説ではキャシーの蓄音機で宗教曲が流されるが、映画ではWW1時のヒット曲Roses of Picardyを流す。バラに込めた彼らの気持ちを歌っているかのようだ。シナトラでも知られているようだが、色々なカバーがあるみたい。1917年のランバート・マーフィー版はこちら

Roses are shining in Picardy,
In the hush of the silver dew,
Roses are flow'ring in Picardy,
But there's never a rose like you!
And the roses will die with the summertime,
And our roads may be far apart,
But there's one rose that dies not in Picardy,
'Tis the rose that I keep in my heart

戦争の傷跡は、のどかな田舎町にも刻まれている。
バーキンが近郊の村へ説教の真似ごとをしに行く羽目になったとき、お礼にと呼ばれた家で、戦争で亡くなったその家の息子の写真を彼は目にする。彼は死の恐怖を思い出し、情緒不安定になる。教会まで走って行き、「神なんていない!!」と叫ぶバーキンが辛い。
一方のムーンも、決して戦争を忘れてはいなかった。後半で彼はバーキンに抑えていた心情を吐露する。教会の天国と地獄の壁画が彼らと重なって見える。地獄を体験してきた彼らは、もしかしたらずっと天国を探しているのかもしれない。
やがて彼らの仕事は終わり、生き生きとした夏も過ぎ去っていく。

原作にはない最後のシーンが好きだ。(*ネタバレです

村を去るバーキンは、老いた「今」のバーキンと視線を交わす。自らの「過去」となった教会に、老いたバーキンは再び足を踏み入れる。屋内には彼が復元した壁画が鮮やかに広がり、バーキンはかつてバラをしのばせたあの本を手にしている。彼の思い出の中で、オクスゴドビーのあの夏はきっと全く変わらずにそこにあるのだろう。


映画についての話。
コリン・ファースが26歳の時の作品。『アナザー・カントリー』から3年後に当たる。
監督は『スウィート・ノベンバー』のパット・オコーナー、音楽は『スノーマン』のハワード・ブレイク。
A Month in the Countryは元々テレビ映画用として検討されていたが、後に正式に映画化された。しかし低予算だったため、映画は約一カ月という短期間での撮影となった。
この撮影がむちゃくちゃ大変だったらしい。
主役の一人、ケネスに至っては2週間しか出演できず、夜には毎晩ロンドンのハマースミスで舞台に立っていたという。昼はムーン、夜はロミオ(『ロミオとジュリエット』)の二重生活だ。
作品の舞台はヨークシャーだが、実際のロケはバッキンガムシャーを中心に行われた。冒頭で機関車の着いた駅舎周辺はかろうじてノース・ヨークシャーのLevisham Railway Station。コリンのいた教会はRadnageのSt.Mary Churchだ。
コリンのインタビューにもあったが、夏の晴れ渡った田舎を映した作品にも関わらず、撮影時は大雨に見舞われていたそうだ。まさかと思うが、序盤の土砂降りはもしや本当の雨だったのかな?晴れ間を待って何とか撮影は続けられた。

■すべての参照リンク:wikipediaHelp this film!
(上右のサイトは20周年にリマスターDVD復活を希望して作られたサイト。本当に願ってやまない)

2010年にコリンと監督らとが作品について対談しています。
・Colin Firth, Kenith Trodd and Pat O'Connor talk about A Month in the Country 1/2

ちなみにこのフィルムは発表後長らく忘れられていたようで、熱心に探したワトキンスさんという人のおかげで2004年に何とか見つかったそう。
何と言うか、不運なのか幸運なのかよく分からない映画だ。
製作に関連した会社にもなく、監督やキャストのエージェントに問い合わせた結果、ケネス・ブラナーの秘書が手をまわしてくれ、なんとか倉庫で眠っていたフィルムを発見したらしい。さらにDVD制作をChannel4に訴えた結果、ようやく再発された。
とはいえ、DVDは今また廃盤になっているようだし、ファンサイトによると完全版は96分あったらしいが、ソフトに収録された映像は92分しかない。つまり4分は見ていない場面がある!
それにDVDの映像もお世辞にもそんなに高画質とはいえないのだ…。

この映画が大好きなファンはまだたくさんいると思う。
もうひと押しするならば、パブ?でケネスの話を聞いているときのコリンの顔が美しすぎて拝みたくなる。
願わくばブルーレイで、難しければDVDでもいいのでデジタルリマスタリングされた完全版で、あの美しい風景とコリンを見てみたい。
パッシェンデール戦線についても書きたかったけどさすがに長くなってきたので、次の機会に。

(続き)おまけのA.E.ハウスマンの詩について。


原作でバーキンは、思いを残した教会とオクスゴドビーを振り返り、19世紀の詩人A.E.ハウスマンを思う。ハウスマンはボーア戦争、WW1の時代を通じて次第に名が知られるようになったという。
ハウスマンの詩は序文にも掲げられている。

「ぼくは、ふと足をとめる、
別れにはまだ早い―
ぼくの手をとって聞かせてくれ、
きみの心の思いを」

J.L.カー/小野寺健訳「ひと月の夏」(白水Uブックス)より

バーキンの狂おしい気持ちが伝わってくるようだ。
調べたところ、ハウスマンの詩集"A Shropshire Lad"の一節のようだった。そっと載せておく。

XXXII. From far, from eve and morning

From far, from eve and morning
And yon twelve-winded sky,
The stuff of life to knit me
Blew hither: here am I.

Now-- for a breath I tarry
Nor yet disperse apart--
Take my hand quick and tell me,
What have you in your heart.

Speak now, and I will answer;
How shall I help you, say;
Ere to the wind's twelve quarters
I take my endless way.