渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

アイスランドは眠らない2 アークレイリは夏模様 (Akureyri)

■16,June,2014(2日目)

(1日目はこちら)

朝のレイキャヴィクは予想通り曇りだった。
レイキャヴィクという名前の由来は、「煙たなびく湾」とされている。
温泉の湯けむりと見間違えたことから付けられたらしいが、曇り空の消えないこの街にもよく似合っている。

乗り継ぎは昼近くからだったので、朝はゆったりと過ごせた。ホテルはレイキャヴィクの喧騒から少し離れた場所にある。1階のレストランのモーニングビュッフェも、朝早くからエクスカーションに出かける観光客が多いので人はまばら。どちらかというと上品なお年寄りが多かった。

朝ご飯。シンプルだけどちょっと色鮮やか。牛乳もバターもくせがなくて美味しい
受付のお姉さんにスーツケースを預かってもらい、空港へと出発。
レイキャビク国内空港で国内便に乗ってアークレイリへ行く。
こちらはさらにこじんまりとした空港で、何かのスポーツの団体客がカフェや待ち合い席にひしめき合っていた。突然彼らが歌いだしてびっくりしたが、何かいいことがあったのかな?
アークレイリは小さな飛行機で45分ほど。
驚いたのは、レイキャヴィクよりも晴れていて温かいことだった。



小さくて可愛いアークレイリの空港

普通に歩いて空港に入る

ホテルに着いた。おお、なんだかおされ…
と思いきや、なぜかベッドのすぐ裏がシャワーとトイレになってる(しかもカーテンのみ)
ホテルについて、「わあいい部屋だなあ」と思ってよく見たら、ベッドのすぐ裏がトイレとシャワーという物凄い設計だった。仕切られてないし、これはシャワーを使ったらすぐに部屋が湿気っぽくなっちゃうだろう。エコのためボディシャンプーがなかった。油断していたので手もちがなく、仕方なく街まで散歩がてら買いに行く。
外へ出ると北部とは思えない温かさ。コートが大げさな気すらしてきた。

地熱を利用した市営プールがあり、その近くの池にいたカモたち
アークレイリの街中へと下る途中。左は美術館
アークレイリの街はレイキャヴィクに次ぐアイスランド第2の都市。とはいえ人口は約17000人で、のんびりとした地方の町というイメージだ。
歴史をひもとくと、9世紀にスカンジナビアから移住してきたヘルギがエイヤーフィヤズル峡湾に集落を拓いたという。しかし実際に居住区として街の形成が始まったのは18世紀からだそうだ。
★アークレイリ徹底ガイド

観光客でにぎわうストリートは、ホテルからの急な坂を下ったダウンタウンにある。
本屋さんとカフェが一体になった店をのぞいてから、近場の青い壁と赤い帽子のような屋根が可愛いBlaa Kannan Cafeでお昼を食べることにした。

キッシュどっしり。近くのテーブルでは、韓国の学生っぽい女の子たちが楽しそうに会話していた
カフェ外観。目立つ目立つ
 翌日のエクスカーションツアーのバスターミナルの場所を確認しようと、ストリートに背を向けて歩いてみた。店は少なくなって、丘の上に古い小さな屋敷が見えた。近づいてみると、誰かの記念館みたいだ。受付の女の子が「ハロー。誰の記念館か知ってますか?」と尋ねてきた。「分からないけど、興味がある」と答えた。
記念館は、アイスランドの詩人で劇作家のマッティアース・ヨクムソン(Matthías Jochumsson(1835-1920))の家だった。彼はアイスランドの国歌Lofsöngur(讃美歌)を作詞した人物。
国歌採用時期自体は1945年と随分後になってからだ。キリスト教の国らしく、国歌もそれにならったのだろうか。


居間みたいなところかな

古いストーブ。すごくかっこいい
コンロは可愛らしい

奥さん。ガタイがよくて強そう。ヨクムソンは奥さんに頭が上がらず、「マンマ」と呼んでいたらしい

子だくさんヨクムソン大変だな…


子どもがたくさんいたわりには小さな家なので、さぞかし大変だったろうなあと思ってしまった。別荘…でもないのかな??
ちなみにアイスランド国歌はこういうのです。

記念館を後にし、街を見下ろす教会までやってきた。アークレイリ教会は1940年の建物。設計したグジョン・サムエルソン(Gudjon Samuelsson)はレイキャビクのモダンなハットルグリムス教会も手掛けている。



中央のステンドグラスは、WW2時に破壊された英・旧コヴェントリー聖堂のものだそう

教会も丘の上にあったが、ホテルはさらに坂道の上にあった。帰り路、ふくらはぎがぎしぎし言うのを感じながら歩いていく。坂の草原では、何か作業をしていたらしい若者たちがビニールシートを広げて楽しげにおしゃべりしていた。
いま何時だっけ。昼だっけ夜だっけ。とにかく明るい。レイキャビクの雲は何かの間違いだったんじゃないだろうか。ちなみにこの昼が続く白夜の違和感は深夜0時を回っても続き、あまりの明るさに気が狂いそうになった。


足腰が鍛えられる坂道

ホテルの廊下にあった、ヴァトナヨークトル氷河での奇跡の救出劇の話

アイスランドは海外観光客が増えて、最近も冬の遭難が増えているから本当に大変だなあと思いました

晩ごはんまで休んで、また街に行こうかと思ったけれど、坂道でばてた私はホテルで夕食をとることにした。
グラスワインとサラダと魚の包み焼き。これだけでも3千円以上はいっている気がする。おされだけどやっぱり高いぞ。
お魚は手のひらサイズなのだった

隣に座っていたおっちゃんが「どこから来たのか」と話しかけてきた。
 おっちゃんは観光バスの運転手らしい。名刺をくれた。いい人みたいなんだけど、会話はそんなに得意じゃないみたいで、一体何を話せばいいのかよく分からない。こまったなあともぐもぐ食べていると、食べている所の写真を撮ってくれた。おっちゃんは翌日の朝もホテルで「おはよう」と声をかけてくれた(しかしやはり会話は続かないのであった)。

私はといえば、朝食時、ワッフルを作るのに見事に失敗した。隣のおじさんが器用にきれいなワッフルを作るのを見て「ど、どうしたらいいんですかこれ剥がれません」と悲愴な顔で尋ねていた。

なんとか剥がれたワッフル、味は美味しい(主張)

(つづく)