居酒屋で晩飯を食べます
馴染みの居酒屋ができてしまった。
居酒屋、というより一品料理の店だけど、店構えはまごうことなき居酒屋だ。
暖簾をくぐって戸をからりと開け、店主のおっちゃんと奥さんがいるのを確かめて「空いてます?」と尋ねる。街場ではなく地元の店だから、たとえ終末の夜といえどそこまでぎっしりとは混んでいない。
カウンターに陣取ると、奥さんがメニューを手渡す。視線を上げると、カウンターの上にもホワイトボードに今日のおすすめが書いてある。
この店で便利なのは、ごはんのセットがあるところだ。たいていの居酒屋はおつまみやおかずがメインで、ごはんは〆の雑炊やおにぎりくらいしかないが、ここはごはんにみそ汁、たくあんがついて来る。好きなおかずを一、二品頼めば、もう晩ごはんとして立派に成立するのだ。
もともと一人でご飯を食べるのは、仕事上当たり前のことになっていて、そこまで気遅れしない。とはいえ、夜は結構勇気が必要だった。夏前くらいに近所のこの店を知って、仕事後の死ぬほど疲れてお腹が減ったときに飛び込んでから、ちょくちょく通うようになっていた。
今日は仕事納めだったが、ばたばた続きだった。
昨日から悩み続けた仕事に朝から七転八倒し、昼になって必要なデータが消えているのに気付いてまたやり直しに行き、午後の予定を何とか伸ばしてもらって、会社に戻ってからも仕事が気になるわ頭が知恵熱でぎゅうっと縮むような気がするわでまんじりともしなかった。
挙句、家に帰ってドアを開けようとしたら、家の鍵が見つからなかった。神を恨みつつ(最悪会社へ戻って探そうか…)と避難した自家用車の中で鞄をもう一度見直したら、ポケットから鍵が出てきた。
疲れた。
もう年末を目指して食材を減らすために、ご飯を作る気力もなかった。
代わりに唸る風の中、居酒屋へととぼとぼ歩いて行った。
仕事納めの日とあって、店の奥の座敷は団体が詰まっていた。
厨房を一手に引き受ける主人はいつもの5倍くらいの速さで回転しながら、包丁を握り、フライパンを振るっている。
奥さんがカウンターに山となっていたお盆を片付け、「寒いからこっち」と奥の席に座らせてくれた。その間にも座敷からは新しい注文が入る。
これは時間がかかるかな、と思いながら、普段は頼まない牛筋煮込み、大根サラダ、ごはんセットを注文する。せっかくの仕事納めだからお酒も頼もう。先に出てきたチューハイを飲みつつ、天井近くのテレビでフィギュアスケートを見る。がんばれ小塚。ああもう完全におっさんだな。しかし気楽だ。
くるくる回っていた主人がいつの間にか私の晩ごはんを作り上げていた。その手際の良さにびっくりした。一体どんな段取りでやったらそうなるのか。今日一日、段取りが整わずに振り回された身としてはいつか聞いてみたいところだ。
いつものようにみそ汁から頂く。うまい。ここのみそ汁は上品な味というわけではないが、しみじみと染みるうまさだ。ほうれん草と豆腐が入っている。ごはんに合わせてたくあんをポリポリかじる。ああ、おいしいなあ。牛筋煮込みは蓋を開けた七味唐辛子と一緒に出てきた。なるほど、気が利いている。
この店では飲み会をするわけではないので、無理をして食べ過ぎないようにしている。もともと私はおかずが少しあれば十分お腹いっぱいなのだ。居酒屋に来て酒も飲まずにご飯を黙々と食べていく謎の女。しかし、実は世界のどこかにたくさんいるんじゃないかな、と思ったりする。
だって、コンビニのおかずは味が濃すぎるし、揚げ物や麺類が多すぎる。昼が洋食だったら、夜は和食が食べたい時だってある。
このお店でいつもとあまり変わらないご飯とみそ汁、それに刺身や焼き物を頂くことが、どんなに普通の幸せをくれることか!
あとちょっと嬉しいのは、ご飯を米粒ひとつ残さず食べるたびに、主人が「おお、完食」と喜んでくれることだ。ごはんを食べて喜ばれることって、そんなに経験したことがなかった。私は小さな店ではそんな優等生の客になれる。
お腹が膨れると幸せな気持ちになる。単純だけど、ごはんって大事だ。
だんだん『孤独のグルメ』のゴローちゃんを地で行くようになってきてしまったが、たぶんこれからも死ぬほど疲れた時に私はあの店に行く。
その時店主は、あのテレビで何の番組を見ているだろうか。
高田渡/生活の柄