ピッチ・パーフェクト/ガールズは諦めない
『ピッチ・パーフェクト1』はミュージカルコメディ映画であると同時に、青春映画の要素が強い。中盤からはあからさまに、80年代青春映画の名作『ブレックファスト・クラブ』(米・1985)へのオマージュが描かれる。この映画は、アメリカのスクールカーストを描いた映画だ。
高校の花形、不良、ガリ勉など個性がばらばらな5人のティーンが、ある理由からそれぞれ補講に参加しなければいけなくなり、顔を合わせた教室で初めてまともに会話をする。最初は警戒し合っていたものの、ほかに誰もいない中で、誰にも話せずにいた自分の内面について少しずつ打ち明け始めるのだ。
★参考:町山智浩たまむすび『ピッチ・パーフェクト』抜き出し
前作で名誉を回復し、大会常連グループとなったはずのベラーズは、オバマ大統領夫妻(本物らしい)も見ている大舞台でもっとひどいへまを犯す。本作では、どぎついジョークを体を張って引き受ける「太っちょ」エイミーが第二の主役といって間違いないだろう。ベラーズは面目躍如のために初の世界大会優勝を目指すが、圧倒的な組織力を誇るドイツのグループを前に迷走。さらにリーダーになったベッカも将来に目が行きがちになり、メンバー間には亀裂が走ってしまう。
広げたい部屋がたくさんある
(歌詞は意訳なので、ミスがあったらご指摘ください)
第3弾が今年公開らしいけれど、一体どんな話になるのか予告だけだと全く検討もつかない…
ホロー荘の殺人/名探偵ポワロ
ロンドンからそう遠くはないが、田舎らしい土地にホロー荘はあった。
週末を別荘で過ごそうとやってきたポワロは、付近のホロー荘に住むサー・ヘンリー・アンカテルとその妻ルーシーから午餐の招きを受ける。ヘンリーとポワロは、ヘンリーがバグダッドで高等弁務官を務めていた時代に知り合っていたのだった。
ホロー荘にはアンカテル家の親族ー芸術家のヘンリエッタ、医師のジョンとその妻ガータらも集まっていた。
翌日の昼食に誘われ再び屋敷を訪れたポワロは、プールの側でジョンが撃たれて倒れているところに出くわす。すぐ側には銃を手にしたガータ、それからアンカテル家の人々が揃っていた。
ガータは呆然としたまま「ジョンは撃たれていた」と呟くが…
(以下少しだけネタバレ)
田舎で静かに過ごそうとすればするほどポワロの身辺は慌ただしくなるのが常。
自分の髭と同じく植木を整えていたのもつかの間、昼間から銃の試し撃ちをして遊ぶアンカテル家からの誘いを受けてポワロはホロー荘へとやってくる。
ここまで見て、(サー・ヘンリーの顔、どこかですごーくよく見た顔だな…)と思って調べたら、グラナダ版『シャーロック・ホームズ』の2代目ワトスン役エドワード・ハードウィックだった。ワトスン!!!!
さらにルーシーの忠実な僕で、一筋縄ではいかない執事のガジョンは『ジャッカルの日』のジャッカル役エドワード・フォックス。豪華だなあ!あまりにも強そうな眼差しなのでこの人が犯人なのでは…??と思ってしまう(笑)。いや、この事件は容疑者があちこちにいすぎる!!
冒頭でヘンリエッタがジョンと愛人関係にあることが明示されるのだが、彼らは全てにおいて少し不器用なガータを裏切りどこか見下しながらも、彼らなりに愛していることが伺える。ガータはジョンを崇拝しきっていて、ガータと親友でもあるヘンリエッタはそんな彼女を嫌いになれずにいるのだ。
そんな複雑な思いを抱えた人々の行動が、事件を迷路へと導いていく。
ちょうどこの前に映画版『オリエント急行の殺人』(1974)を見て、アルバート・フィニーのポワロも見たのだが(全然聞き取れなかった!これがベルギーフレンチなまりなのだろうか)、こちらのポワロはかなりの神経質で、デヴィッド・スーシェの方は何というか愛らしさがあるなあと思った。
ちなみにアルバート・フィニーはこのポワロでアカデミー賞主演男優賞ノミネートを果たしている。最近だと『チャーチル』のチャーチル役や、007『スカイフォール』でボンドの生家スカイフォール屋敷の番人をしていたキンケイド役が記憶に新しいところ。
好きなものを好きということ
少し前に、文筆家の甲斐みのりさんのお話を聞く機会があった。
前から趣味へのこだわりになんとなく親しさを感じていたので、「近くに来る機会があるなら」と軽い気持ちで出かけていったが、彼女の話は私が忘れかけていた大事なものを思い出させてくれた。
それは、好きなものを好き!と言い続けることだ。
私はもうずいぶん長いこと、自分が何を好きで、何になりたいのか分からずにいた。
これまでの経験から、たとえ「これが好きだ」と思っていても、誰かにそれを否定されたり、からかわれたり蔑まれたりすることが死ぬほど恐ろしかったのだ。
だったらもう何も言わない方がましだ、黙っていよう。何もしなければ誰も文句は言わない。
でもそれは、とても退屈で苦しいことだ。
甲斐さんは何度も「これが好き」という気持ちを信じることについて話していたように思う。
例えば、今はネットが普及して、映画でも本でも食べ物でも、経験する前から他人の評価に影響されることが増えている。
それはとても便利で間違いがなさそうに思えるが、そこに自分自身の「好き」は反映されていない。
甲斐さんは、「入ったお店がたとえ微妙だったとしても、何か一つはいいところを見つけて帰りたい」と言っていた(根が貧乏性だから、と笑っていた)。
それを聴いて、私はポリアンナの「いいところ探し」だ!と嬉しくなった。
例えば昔ながらの喫茶店に入ったときにもよくあることで、出てくる食べ物や店の古さが微妙だとしても、店自体の雰囲気が自分にしっくり来て落ち着くようなことがある。
自分の感覚を信じるということ、そんなとても身近で簡単なことが、今はなんて遠くなってしまったことだろう。
甲斐さんは地方自治体の依頼を受け、観光パンフレットの制作にも協力されている。
その中で、和歌山県田辺市のパンフレットが例に挙げられた。
世界遺産の熊野古道を抱えてはいるものの、そこ以外は観光客は素通りに近く、市の観光協会が「ほんっっとうに何もないところなんですが…」と何度も言いながらお願いしてきたという。それに甲斐さんは「何もないところなんてないですから」と応えて出かけて行った。
そのパンフレットは、観光名所案内と言うよりもまちあるきマップの趣だ。
どこにでもありそうな駅舎や喫茶店、町のひとびとをいつもとは違った目線で切り取っている。
それはただのっぺりと紹介をするだけでなく、「すてき!」というカラーで彩られた、新しい町の見方だ。
甲斐さんが「可愛い!」というたびに、市の人や町の人が「えっ、こんなのが可愛いんですか?」と驚いたそうだ。その「可愛い」が出るたび、だんだん町の人の顔が輝いてきて、「これがいいのなら、もっと良い場所がある」と教えてくれるようになったという。
実際にそのパンフレットを見ながら、確かに私の町でもできそうだと思えたし、逆に言えばこんな風に町を眺めたことがあったかなと新鮮に感じられた。
自分では自信の持てないもの、人に見せるようなものではないと思っていることが、誰かの目を通せば宝物のように感じられることがある。
目線を上げて何かを見るということは、価値を再認識するというより、その何かに新しい価値を見いだすということなのかもしれない。
彼女の話を聞いて、「好き」を信じる力の強さと、「好き」を途切れさせず見つけ続けていくことの凄みを感じた。
自信というのはどこからやってくるものだろうか。
それは、結局自分の中からでしかないのではないか。
甲斐さんは、昔何かになりたいとあがいていたころや、本を書きたいのに書けなかったころの苦しさについても話されていた。彼女も元々そんなに話すのが得意だった訳ではなく、ただ「本を書きたい」という気持ちはずっと心の中にあって、そこに向かって少しずつ進んでいったのだった。
みんなとことん落ち込むことがある。でも、どん底まで落ち込んでも状況は変わってはくれない。
目線を変えることが、状況を変えるのだ。
トークの後の帰り道、私は少し自分のことを信じてみてもいいのかな、と思えた。
それから、友人たちが今まで言ってくれた「あなたの話が好きだよ」という言葉をことさら大切にしたいとも。
振り返れば、私が「好きだ」と言ってきたものを近しい友人たちは決して蔑んだりはしなかった。自信をなくしていたのは、友人たちの話を聞かなかった自分のせいなのだ。
生きているかぎり、自分の言葉も心も捨て去ることはできない。だったらそれはどんなものであろうと、私の財産に違いない。
『ドラえもん』にこんな言葉がある。
「どんなに勉強ができなくても、 どんなに喧嘩が弱くても どこかに君の宝石があるはずだよ。 その宝石を磨いて、 魂をピカピカに磨いて魅せてよ。」
みんなそれぞれに宝石を持って生きている。そう思うと、少し誇らしい気持ちになる。
心許なくとも「好き」の宝石を何とか光らせて、誰かに「ここにいるよ」と信号を送り続けよう。いつかどこからか返答の光が見えることを期待して。
■参考リンク
・甲斐みのりさんのサイト「Loule」
・北欧・暮らしの道具店:「好きを仕事に」 甲斐みのりさん
ポルトガル、君を愛してる!2 太陽は僕の敵 (Lisboa)
久しぶりのリスボンの旅の続き。前回はこちら。
■22,Jun,2015(2日目・リスボン)
翌朝、リスボンの空は曇りだった。
ホテルの窓のカーテンを開けると、目の前の建物の少し煤けた窓枠や壁、薄紫のアズレージョが見える。
最初は案外くすんだ色の街なんだな、と内心少しがっかりしたのは確かだ。
近所のパン屋でご飯を食べてから(目の前でオレンジをしぼってくれるジュースの機械がある店だ)、フロントで今日の目的地、展望台としても有名なサン・ジョルジェ城へ向かうトラムが発車する駅を聞いた。
ホテルを出るときには、朝方とは打って変わって強い日差しが襲いかかってきた。青々とした空が広がり、同時に目に突き刺さるような光が街路を照らし出している。それはいままでに生きてきて、経験したことがないほどの明るさだった。
チーズとハムを入れてサンドにした。ジュースがたっぷり。スープは定番・刻みキャベツとじゃがいものカルド・ヴェルデ |
日焼け止めも付けたし、帽子も長袖も着てサングラスまでかけている重装備だというのに、すべてを貫通しそうな勢いのすさまじい日光量だ。
目抜き通りのアウグスタ通りを冷やかしつつ南側へまっすぐ進むと、コメルシオ広場に出る。
ここには大航海時代に栄華を極めたマヌエル一世の宮殿と船着き場があったというが、1755年の大地震で灰燼に帰してしまった。
今では地震時の国王ジョゼ一世の騎馬像、そして壮麗な白い門が建っている。門に彫られているのはかのヴァスコ・ダ・ガマと、震災復興を指揮したボンバル侯爵なのだそうだ。
ジョゼ1世かな? |
広場の向こうには、広大な海のようなテージョ川が広がっていた。
最初は本当に海だと思っていた。果てしないほどの広さ |
あまりの日光にめまいを起こしそうになりながら、地下鉄の駅でリスボンカード(メトロ、トラムなどが乗り放題になるカード)を買い、スリで悪名高い28番線のトラムでアルファマ地区へと向かった。
アルファマは、リスボンの中でも忌まわしい大地震の影響を免れた地区で、中世の面影を今に残す場所だという。
黄色い小さなトラムは、ガタガタと古めかしい音を立てながら狭い路地の間を進んでいった。その子心許ない音に、何だか花やしきの今にも壊れそうなジェットコースターを思い出してしまう。
電車と歩道の間のすきまなどほんのわずかしかないので、見ているこっちはぶつかりやしないかとはらはらする。そのうちにぐいぐいと坂を上り、地元の人でにぎわう食堂や小さな雑貨屋などを通り過ぎていくと、どこもかしこも気になって入りたくて仕方なくなる。
小高い丘の上でトラムを下車。
停車場の近くにはポーチになった場所があり、そこでは若い女の子たちがアズレージョを描いて修復していた。そばには濃いピンクの花々がカーテンのように咲き誇っていた。これはジャカランダなのだろうか?
声を掛けて写真を撮らせてもらう。暑そうだけど慣れっこなのかな |
木があったポーチからサン・ジョルジェ城までは、勾配のきつい坂道が待ちかまえていた。
石畳の坂は路地の奥まで続き、どこまでも先が見えないほどだ。足腰が弱い人間にはたまったものではない。
坂道の先の高台にサン・ジョルジェ城の入り口があり、中は公園のようになっていた。アイスクリーム屋もあって、坂と太陽にやられた人たちの格好の休憩所になるだろう。
高台の要塞の歴史は紀元前2世紀にまでさかのぼると言われる。数々の民族が支配した後、中世のレコンキスタを経て、ムーア人の支配からキリスト教勢力下へと「奪還」される。
奪還したのは、初代ポルトガル王となるアルフォンソ・エンリケスだ。
現在見える城はまさに石造りの要塞という趣だ。
高台からはリスボンの赤い屋根の街並みが一望できる。風は強く、遮るものは何もなかった。
参考文献:
矢野有貴見『レトロな旅時間 ポルトガルへ』
(つづく)
グランド・フィナーレ/されどそれも人生
■グランド・フィナーレ(YOUTH) (2015/伊・仏・瑞・英)
世界的に名が知られた英国人の老音楽家フレッド(マイケル・ケイン)は引退を決め込んで俗世を離れ、セレブが集うアルプスの高級ホテルで無気力にバカンスを送っていた。
同じくホテルに滞在している親友で映画監督のミック(ハーヴェイ・カイテル)は、若手たちと新作の構想にいそしむ。ホテルにはロボット映画で知られたハリウッドスターのジミー(ポール・ダノ)らもいた。
ある日フレッドの元に、英国女王から勲章の授与と出演依頼が舞い込んでくる。
曲目はフレッドの名作『シンプル・ソング』。しかし、フレッドはかたくなに出演を拒むのだった。
美しい自然に囲まれた高級ホテルのスパには、老人から若者まで、さまざまな人が列をなす。
フレッドの老いた体と対局をなすミス・ユニバースのみずみずしい肌が印象的だ。
この作品には対比と同時に、いくつもの「繰り返し」が描写されている。
円環をなすホテルのライブシーン。機械的にプールへと進み、エレベーターで昇降する人々。途中までで止まってしまうヴァイオリンの音色。
彼らは一見毎日変わらないように見えるが、その実少しずつ変化している。
レストランにいた夫婦、ミックと会話するスパのスタッフ、役柄の選択肢を選ばずにいたジミー、いつも同じような構図で、同じ場所を歩いていたフレッドとミックにさえ変化が訪れる。
時はすべからく移りゆくものなのだ。
フレッドはかつて一緒にいた妻との幸せな追憶の中に閉じこもり、現実を直視することを放棄している。
しかし、ある出来事がフレッドの背中を押す。初めて彼が外へと歩き出す時、否応にも自らを取り巻く老いと死に向き合わざるを得ない。それでも生きる限り、人生は続いていく。
ある女優がミックに対して言った言葉通りに。
作品の原題は『Youth』。
映画を最後まで見れば、こちらのタイトルの方がすとんと胸に落ちるのは明らかだ。
『グランド・フィナーレ』というと、「老音楽家が最後に華々しい舞台に立つ話かな」と思ってしまう。
しかし、この作品は実はフィナーレをも超えたその先を描いているのだ。
誰もが美しく華々しいフィナーレを迎えられるなら、どんなに幸せなことだろう。だが、人生はそんなに甘くはない。生きれば生きるだけ積み重なる苦しみがあることを忘れてはならない。
ただ、苦しみがあると言うことはおそらく喜びもあるのだろう。
終わってしまったはずの出来事にだって、新たな発見があるのかもしれない。
そんなささやかな希望を感じさせてくれる作品だ。
映像はひたすらに美しい。
明るいアルプスの自然はもちろん、フレッドが見る幻想、夜の照明を生かした宝石のような舞台、どれも美術館に飾っておきたくなってしまう。
監督のパオロ・ソレンティーノは『イル・ディーヴォ』『グレート・ビューティー/追憶のローマ』などの作品を生み出している。
タイトルだけ見るとこちらもずいぶんと年齢を重ねた人が撮っているように見えるが、彼はまだ46歳だ。タイトルで食わず嫌いしていたところがあるから、ぜひ追って見てみたい。
音楽はデヴィッド・ラング。
サントラも素晴らしいので音楽映画としても楽しめる。
*何もする気力がなくなり、久々に戻ってきましたがリハビリなのでお目汚しを失礼いたします。
アイスランドは眠らない3 まさかの大襲来 (Goðafoss~Myvatn)
■17,June,2014(3日目)
民家の花壇に咲いていた花 |
街中へと向かう坂道。やっぱり急だ~ |
天気がよすぎて眩しい。真ん中がアークレイリの教会 |
美術館。面白い形をしている |
CDを買った雑貨屋さん |
バスターミナルまでやってきた。しかし人影が見当たらない。ターミナルの店も開いていなかった。時間はもうすぐなのに。少しずつツアー参加者とおぼしき人たちがやってきたが、皆不思議そうにしていた。店先にあった看板の地図を見ていると、歩いてきた地元の若い男の子が「どこに行くの?」と聞いてきた。「ミーヴァトン」というと「ああ」という顔をして、「気をつけてね」と笑って去っていった。
「気をつけてね?」
はてな。
しばらく待っていると、ようやくバンがやってきた。乗務員のお姉さんが「今日は祝日で、飛行機のスケジュールが変更になった。空港に来るツアー客を迎えるまでにまだ時間があるから、ちょっとアークレイリをドライブしよう」と告げた。なるほど、祝日だったのか。
バンに乗って街を一巡り。少し歴史のあるらしい建物などを紹介されたが、やはりどれも比較的新しいものだ。それと、山の手にあるマンションはとってもいいお値段らしい、ということは分かった(笑)。
アークレイリの街を見下ろす |
山側に行くと雪がへばりつくように残っている |
バスはまず、ゴーザフォスへと着いた。
ゴーザフォスとは、「神々の滝」を指す。
アイスランドでは995年から、ノルウェー王のオーラヴ・トリクヴァソンの意向でキリスト教化が強行的に進められた。
1000年、アイスランドの人々はシンクヴェトリルの国会(アルシング。世界最古の近代議会とされる)でキリスト教改宗を決議した。決議後、多神教の聖職者であり族長のソゥルゲイルはミーヴァトンに近い家に帰る途中でこの滝にヴァイキングの神々の偶像を投げ込み、キリスト教への信仰を誓ったという。ゴーザフォスの名はその故事に由来する。
高さこそそこまでではないが、半円状に弧を描く地形と、勢いよく滝つぼに落ちて逆巻く水がどこか優美に感じられる。
こんな天気を予想もしていなかった。思い思いの場所で撮影する(あぶない…) |
水辺には花が咲いていた |
ミーヴァトンはもう少し先にあるので、またバスに揺られる。
ミーヴァトンに着いて、私は朝方のターミナルで男の子に言われた「気をつけてね」の意味を理解した。
バスの外を、アブのような羽虫が大量にぶんぶんと飛んでいたのだ。
なんだこれは!!!??
あまりにもものすごくて、ずっと首を振っていないといけないくらいだ。
ミーヴァトン湖。見た目はとても美しいのだが、この間も羽虫がそこらじゅうで唸りを上げている |
羽虫に追われる犬 |
ついに降参してうずくまる… |
ちなみに、ミーヴァトンは阿寒湖と同じマリモの生息地としても知られている。だが、数年前に見たドキュメンタリーによると、近年は水質汚染によって生息数は激減してしまったそうだ。こんなにきれいなのに、なんだか信じられない。
★日本のマリモ・世界のマリモ(マリモWebさん)
溶岩が水に流れ込み、水蒸気爆発でできた擬似クレーター。あちこちにある |
クレーターを見下ろしたところで限界がやってきた。
「きれいだけど、も、もう戻ろう!!」
まるでヒッチコックの「鳥」みたいに羽虫を振り払いながら、私は必死でバスへと駆け戻ったのだった。
(つづく)
Once Around the Block/この温かくてへんな生き物は
気持ちよく裏切られるというのはこういうことだろう。