渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

季節について

近所にある、個人のデザインだか設計だかの事務所は通りに面して大きくガラス窓を取っていて、部屋の中が丸見えだ。
あまりに堂々と見えてしまうと、かえって中を見る気は起こらないもので(中にいる人と目が合うのも気まずかろう)、これまで見て見ぬふりをしてそっと通り過ぎるだけだった。しかし、この間ついぼんやりと眺めたら、オーナーは白いランニングを着てパソコンに向かっていた。窓から光が入ると暑いもんな、と妙に納得した。
そんな季節だ。

5月からきらきらと眩ゆいばかりに輝いていた緑は、湿気混じりの空気によく馴染む色合いになってきた。街のあちこちでは、ツツジの後を追うようにしてバラが咲いている。ピンクや、白や、いろんな色が華やかに競い合っていて、みんなよく育てたものだなあと感心する。
やっぱり冬よりは春、春よりは初夏が好きかもしれない。色彩豊かで見ていて飽きないし、寒いのも暑いのも苦手だから、途中の過ごしやすい時期が外に出かけやすくて嬉しいのだ。太陽を浴びる習慣がない身にさえ、光があふれているのには思わずうきうきとしてしまう。もちろん帽子は欠かせないのだが。

今日は、今年初のカルピスを飲んだ。
お腹を冷やしすぎるといけないから氷は控えめにした。甘くてさわやかで、紛れもなくあのいつものカルピスの味だった。
昔、夏休みにおばあちゃんの家に泊っていた頃、麦茶をがぶ飲みしすぎて、おばさんに睨まれたことを思い出した。
大人になるというのはカルピスやお茶をいくら飲んでも、怒られないということなんだなと思う。間抜けな話だが、それくらいしか大人らしさというものについてあまりピンと来ない。

いつの間にかおばあちゃんの家はなくなったし、おばあちゃんももういない。真昼にやっていた怖い話の番組もないし、その夜のぼっとん便所に恐怖することもない。
少しずつ何かが消えて、別の何かへと変わっていく。それは時の流れのせいかもしれないし、自分が身につけた力なのかもしれない。

いくつもの夏と冬を積み重ねて、押し流されるようにして新しい季節のカーテンを開くたびに違う何かが待っている。
同じようにバラは咲いてもそれは去年のバラではない。誰かと会っても、きっと同じままの誰かではない。
それは少し寂しくもあるが、同時に心強くもある。
土に水をやって何かを育てること。
自分で何かを作り上げること。
そうして自ら変わっていくことは、とても無駄だとは思えないからだ。

もうずいぶん長いこと私の熱は冷めてしまったが、太陽に照らされていれば少しはましになるかもしれない。
少なくとも今はそう信じて、ぐんぐんと育つ夏の花を見つめている。