渚にて

旅行、音楽、読書、日常の雑記をつれづれに。

本をよむなら今だ

本をよむなら今だ。
新しい頁をきりはなつとき 紙の花粉は匂い立つ。
外の賑やかな新緑まで ペエジに閉じ込められてゐるやうだ。
本は美しい親愛をもって私を囲んでいる。
室生犀星『本』
ジーヴスの漫画も描いている勝田文さんの、昭和日本に舞台を移した『あしながおじさん』の漫画、『Daddy Long Legs』で、おじさんに当たる千博さんが呟く言葉だ。




中学から高校生くらいのころ、本を読む楽しみなくして生きられない片田舎の子供だった私は、図書館が唯一の娯楽場だった。同じく読書好きの友人と一緒に図書館で待ち合わせて、ひたすら本を探してはめくる時間を過ごしたものだ。
今思うと「なんて地味で暗いんだ!」の一言で片づけられてしまうかもしれないが、本はお金も知識もない自分に、まだ行けない場所や見たことのないものを手軽に教えてくれる手段だった。思えば大人になってからの熱意や旅の行き先も、このころに形作られたものかもしれない。

高校時代に学校の司書さんと仲良くなった。
最初は固定の著者目当てで通っていたのがうっかり図書委員になり、ポスターを書くために日本文学集や詩集を漁ってちょうどいい文句を選んでいた。
そのころ柴田元幸先生の翻訳に出会い、それまでの翻訳文体が苦手で逃げていた私は目からうろこの状態に陥った。読みやすい。くどすぎない。こんな訳なら避けていた海外の作品も読めちゃいそうだ。
司書さんはお勧めがうまく、そんな目覚めたばかりの私に悲劇のミューズ、イーディの伝記や英国ミステリのガイド本などを貸してくれた。エドワード・ケアリーのある館を舞台にした不思議な小説、『望楼館追想』もそのひとつだ。
『望楼館―』の説明をするのは難しい。記憶もずいぶん遠のいている。古びた館から出ることなく、ひとの大切なものを収拾し続ける変わった主人公とその館の住民たちの物語だ。私が見たことのないものを「面白かったよ」と素直に勧めてくれることが、その頃は単純に嬉しかった。

Twitterでこの本を訳された古屋先生をそっとフォローしていたのだが、先日学生向けに配っているという夏休みの読書リストのことを呟かれていた。
読書リスト!なんて懐かしい響きだろう。レポートも読み放題の時間もなくなった今では、なかなかそんなものを見る機会はない。
どうしても中身が気になってリクエストをしたら、そのリストを先生が送ってくださって、今飛びあがりそうなほど嬉しい。これも時代の恩恵だなあ。
私の今の読書事情はというと、通勤中のバスで読むくらいで、しかも次々に浮気をするからなかなか一冊を読み終わるのが難しい。

先生のリストはいずれネットでも公開されるようだ。だから今は、その中から自分が読んだことのあるものだけ、ちょっとだけ上げてみる。読みかけのものもあって、ほとほと「読んでないなー…!」と情けなくなった。ミレニアムの続きを早く読まなきゃな。

アメリカ文学
エドガー・アラン・ポオ『ポオ全集』(黒猫、赤死病の仮面あたりのみ)
ジョン・アーヴィングホテル・ニューハンプシャー
・リチャード・ブローディガン『西瓜糖の日々』
サリンジャーライ麦畑でつかまえて
・ラッタウット・ラープチャルーンサップ『観光』(古屋先生訳)
・トニ・モリソン『青い目がほしい』

【イギリス文学】
ジェイン・オースティン高慢と偏見
エドワード・ケアリー『望楼館追想』(古屋先生訳)

【フランス文学】
アゴタ・クリストフ悪童日記

【その他の国】
フランツ・カフカ『変身』
・スティーブ・ラーソン『ミレニアム』

【日本の小説】
幸田文『きもの』

【ミステリその他】
皆川博子『死の泉』

ここらのほとんどが学生時代に読んだものしかないのが切ない。しかも傾向が分かりやす過ぎて恥ずかしい。耽美が好きだったのは丸わかりだね?
最近はネットにかまけているとすぐに時間が経ってしまい、何をする時間もなくなってしまうんだけど、もうちょっと読む時間を増やそうかなあ。
それこそ冒頭の犀星のように。もうひとつ詩をあげてこれ以上の無駄口は慎むことにしよう。

月の夜は大きな書物 ひらきゆくましろき頁
人、車、橋の柳は 美しくならべる活字
樹がくれの 夜の小鳥は、ちりぼひて 黒きふり仮名。
しらじらと ひとりし繰れば、懐かしく、うれしく、悲し。
月の夜は やさしき詩集、夢のみを語れる詩集。
西条八十『書物』

秋の読書はどれから始めようかな。あと、今日知ったヴァネッサ・カールトンの曲Carouselも置いておく。これもネットがなければ気付かなかった。時間泥棒だけど、悪いことばかりじゃないな(いいわけ)。