アイルランドへ行こう 4:緑なす丘を越えて(GALWAY)
2017,Jun,10
前回まではこちら。
次の目的地、ゴールウェイは、アイルランド西部のコナハト(コノート)という地域にある港町。ダブリンからも直行のバスが出ていて行きやすく、夏の観光地としても人気が高い街だ。
とりわけ2017年は、イギリスの人気ポップ歌手エド・シーランの曲『Galway Girl』の題材にもなった。女優シアーシャ・ローナンと夜のゴールウェイを駆けめぐるまるで観光ガイドのようなPVも作られ、この一地方都市の名は、アイルランドのみならず世界規模で何百万回とリピートされたことだろう。
その一方でゴールウェイは、古来のゲールタハト(アイルランド語を話す地域)とも接しており、未だに街中でアイルランド語(ゲール語)話者に遭遇する率も高いという。
街自体も、中心部には観光地らしく飲食店街が立ち並ぶにぎやかなストリートもあるが、少し離れると川や海、うちの近所にもありそうな普通の住宅街といった光景が続く。観光シーズン以外は、割と静かな雰囲気の場所なのかもしれない。
ゴールウェイへ向かう途中、高速バスにすし詰めになって揺られながら窓の外を眺めていて、緑の多いところだなと思った。そもそも、アイルランドはその緑の豊かさから「エメラルドの島」と呼ばれているという。シンボルカラーも緑で、守護聖人をしのぶセントパトリックデーには人々は緑色のものを着ることになっている。
これまで行ったことのある場所が荒野が多かったせいか、道路沿いに見えるもさもさした緑と馬、白い羊の群はなんだか新鮮だった。
もさもさの緑 |
ゴールウェイに着き、街中から川を渡り少し行ったところでタクシーを降りた。荷物を抱え何とかホテル前に着いたのだが、アパートメントタイプで、電話で連絡しないと管理人につながらなかった。
問題は、短期間だからと、私が海外で携帯電話を使えるようにしていなかったことだ。うわー初歩的ミス!
困った私はアパートメントの周辺をうろつき、入り口は暗証番号を入れないと入れないオートキータイプだと確認してから、観念して近くで犬の散歩をしていた女性に声をかけた。
「あの、管理人と連絡を取りたいんですけど…」
事情を話すと、彼女もちょうど携帯電話を持たずに歩いていたそうで、親切なことにさらに通りすがった男性から電話を借りてくれた。なんていい人なんだ!!
管理人を待っている間、彼女も一緒に待っていてくれた。可愛い犬をなでようとしたら犬に警戒されてちょっと悲しかったけれど。
観光シーズンが始まる初夏、ホテルの値段も上がりつつあった。中心部からは少しだけ離れているけれど、歩いてどこにでも行ける距離にあるアパートメントをゲットしていた。入ってみると、値段の割に部屋が広すぎて驚いた。これは数人で長期間暮らす方が楽しいだろうな~と思ったものの、カラフルな彩りはおしゃれで素敵だった。
朝から動いて疲れ果てていたので、荷物をほどくとすぐさまベッドにつっぷした。
そのまま寝ていたらあっという間に午後8時近くになる。日が高いので夜という感覚はあまりしないが、晩ご飯を食べ逃してしまいそうだったので、仕方なくマップアプリを開いて近くのレストランを探す。
幸運なことに、目の鼻の先にシーフードレストランHookedがあった。早速出かけてみると、白い木材の床が印象的なカジュアルな雰囲気のお店だった。なかなかいい感じ。メニューを見て悩んで、ここ数日ろくなものを食べていなかったので、シーフードのタリアテッレを注文する。
削ったチーズ、ムール貝、イカにガーリックトーストのバゲットもついていて、ものすごいボリューム。そしておいしい!!必死に食べたがどうしても食べきれず、会計の時にレジ横の瓶にチップを入れながら「食べきれなくて残念…」と店員さんに言ったら、「仕方ないよあのサイズだもん」と言われた。どうやら元からシェアを想定した公認ビッグサイズだったらしい。
一人旅はこういうところがな~!と意地汚く己の胃袋のふがいなさをかみしめるも、いい店を見つけられたことに安心して部屋に戻った。
この後、ホテルのコインランドリーで洗濯に失敗し、深夜の小雨の中、街中の商店まで小銭を作りにいく羽目になろうとは夢にも思わずに。
参考:
栩木伸明著『アイルランド紀行』(中公新書)
■ゲールタハトとは?
アイルランドの第一公用語はアイルランド語だが、第二公用語の英語がやはり主流で、今では話す人もごく限られているそう。言語を絶やさぬように教育機関で学習を行ったり、表示を英語と同時表記するなどの取り組みが行われている。
おまけ:夜はテレビでマーティンが見られて嬉しかった |
北欧ところどころ7 折り返し地点にご注意(OSLO)
■13,Sep,2012 (4日目:オスロ)
前回まではこちら。
追記。オスロのホテルは前日よりは古めの内装だったが、まあまあの広さ。北欧の宿命かシャワーブースのシャワーヘッドがとても高い位置にあり、まるでホビットみたいな気持ちになった。
とりあえず寝られることに安心したら突然アイスが食べたくなって、近くのコンビニまで走って出かけてから寝た。
翌朝、オスロからストックホルム行きの飛行機は午後の便だから、昼までぶらりとオスロを見て回ることにした。あんまり街の知識はなかったけれど、ムンクの美術館もあるらしい。残念ながら今回は時間がないので、駅からも近いオスロ大聖堂を見に行く。目抜き通りのカール・ヨハン通りを歩いて、途中小さなマーケットを横目に通り過ぎると、街の中心部に教会が突如顔を出す。
この大聖堂は、国教の福音ルーテル派の総本山なのだそう。17世紀末に建てられたが、何度か火事に遭って再建されているらしい。それでも荘厳なステンドグラスとパイプオルガンの重量感はやはり時代を感じさせる。パイプはなんと6千本もあるらしい。音が出たらさぞ迫力があることだろう。
しかし何より教会のありがたいところは、座って休めるところだ。しばらく長いすに座ったらもう二度と立ち上がれないんじゃないかと思ってしまう。フランダースの犬とネロ少年みたいに。これはいかん、と何とか椅子からお尻を持ち上げた。
雑貨店を冷やかしつつ、歩のような足取りでぎりぎりでホテルに荷物を取りに帰る。
駅前は大通り。空はどこまでも青い |
オスロ中央駅から空港駅までは高速列車で約20分。バスでは40分くらい。私はバスで向かった。距離が近いのですっかり安心して、空港内をぶらつく。…余裕は実際、あんまりなかった。厚着をしていたのだが空港内はかなり暖かく、ちょっと歩いたらへろへろになってしまった。飛行機も45分遅れになったので、軽食をつまんで上着を脱いだ。
バスターミナルは大きなバスがたくさん |
空港内の謎の回転寿司屋 |
もう一つまずいことに、携帯はWi-Fi環境でしかつながらないようにしてあったし、通話もすぐにできない。向こうの空港に着き次第、Wi-Fiでメールをするしかない。
飛行機に乗って、無口だけど親切な隣の乗客にコップを置く場所を教えてもらい(テーブルの倒し方がよく分からなかった)ほっこりして、着きましたスウェーデン!ストックホルム。
外はきっと寒いだろうなと思い、上着を探そうとした瞬間はっと青ざめた。
ダウンとマフラーをオスロ空港の荷物検査置き場に全部忘れていた。
屋内が暑すぎたから!!
なんということだ。9月のストックホルム、夜は冬の寒さになってしまう。
でも時間はない。駆け足で街までの電車に乗り、何とかホテルにたどり着く。事前にメールで約束の時間を遅らせていたので、ホテルで友人の娘さんに会うことができた。すでに疲労の色濃い私に彼女は「大丈夫?」と尋ねてくる。
「大丈夫(たぶん)。ところでダウンを置いてきちゃったんだけど…夜は冷えるよね??」
「えっ…うん」
ですよね~~~~(涙目)
つづく。
アイルランドへ行こう3:超高速ケルズの書
2017, 9-10, June
日帰りツアーの続き。キルケニーに入る前に風邪気味で体調ががくんと悪くなってしまったので、あんまり街を歩く気力がなかった。とりあえず昼御飯を食べようと、レストランで野菜のグリルと名物のレッドエールを頼んだけれど、おかげでさらに体が冷えてしまったのだった。
キルケニー城の裏の庭は出入り自由なので、ヨタヨタと入って散歩している犬を眺めていた。中世の面影を残す街ということだが、割と近代的なよくある街のようにも思えた。 城の中や修道院の中に入ったなら、もっと違う感じなんだろうなあ。
キルケニーのお城 |
キルケニーの街。古い面影を残すが、よく見てみると衣料量販店とかもちらほら |
ツアーが終わってダブリンへ。道に迷いながらも(似たような建物が多いのだ!)ホテルに戻って休んでから、晩ご飯を食べる場所を探した。いまいち食欲がわかなくて悩んでしまったが、レストランでフィッシュクリームスープとワイン、パンだけ注文した。ウェイターのおじさんが人なつこい笑顔でいい感じ。日本にいたこともあるらしく「こんにちは」と挨拶してくれた。疲れていたので、なんだかほっとした。
翌日、早めに起きて、先日晩ご飯を探しがてら見つけたオーガニックっぽいカフェに入った。
サラダはビュッフェ形式になっていて、決まった大きさの容器に入れるとその大きさで値段を決めてくれる。生野菜に飢えていた私はありったけの野菜を詰め込んだつもりだったが、レジのお兄さんは「もっと入れられるよ??」と不思議そうな顔で指摘した。…やっぱりこの国は食べ物の量がボリューミーだと思う。
果物のスムージーも気になって注文したものの、出てきたカップはトールサイズを遙かにしのぐビッグサイズで、小雨が降る12度の朝に飲める代物ではなかった。泣く泣く飲みきれなかったスムージーをホテルの部屋に置いて、荷物を預ける。
朝の目的地はアイルランドの至宝とも言われる「ケルズの書」がある大学、トリニティ・カレッジだった。しかし、ここで一つ大問題が発生した。
時刻は午前10時45分。
「ケルズの書」展示室への入館を11時に予約していたのだが、ホテルからトリニティ・カレッジまで常人で徒歩30分はかかることが判明したのだ。
しぬ!!!!
初日のタクシーのおっちゃんは「15分くらいかな?」と言ってたのに!タクシー感覚か~~~!!ウアアアァ~~!!!猛烈な早歩きで飛ばしても、入り口まで着くのに20分。時刻はとうに予約時間を過ぎていた。焦りながらも入り口前の学生に事情を説明したら、ほかの学生に相談して入れてくれた。た、助かった!!!
トリニティ・カレッジは1592年にエリザベス一世が創設した伝統ある総合大学。当初はイングランドの支配下であったため、プロテスタントの子弟のみが入学を許可された。
旧図書館にケルズの書の展示室がある。予約した方が並ばずに済む |
ケルズの書は、8~9世紀ごろに制作された中世のキリスト教福音書の写本で、美しいケルト文様の装飾が特徴だ。もとはスコットランドのアイオナ島(アイルランドの守護聖人が亡命して作った修道院がある)でつくられ、その後アイルランドで完成した。
最近だと、アイルランドのアニメ映画『ソング・オブ・ザ・シー』のトム・ムーア監督のデビュー作『ブレンダンとケルズの秘密』でもファンタジーの中で取り上げられている。
■参考:WIRED「神話とアニメの愛蘭土紀行」
展示室内は朝だというのに大勢の観光客でひしめき合っている。写真撮影は禁止。ぎゅうぎゅうの部屋の中で見たケルズの書は思ったよりも大きく、小さな机一つ分くらいあった。毎日1ページ、違うページがめくられるので、680ページ分を直にみようとしたら2年はかかりそうだ。
展示室の後で見られる旧図書館ロングルームも、美しい図書館として世界的に知られている。シンメトリーの建物の左右に天井まで本が並んでいる様は見事で、みんなが見とれている間にもどんどんと人は増えていくのだった。
ロングルーム。元は平たい天井だったが、書架が増えるにつれて改築が進んだ |
展示室を出ると、入り口前には100人ほどの行列ができていた。
キャンパス内をぶらついて、小さな庭のアジサイや大学寮裏のベンチを何ともなく眺めると、ベンチには亡くなった大学教授の名前が刻まれていた。代々こうして寄贈されてベンチは増えているのかもしれない。
観光客でいっぱいの大学も、裏手に回ると静かなものでした。自分の大学が観光地ってどんな気分かな? |
おみやげを買って、猛スピードでホテルへ戻る。
路面電車の線路増設中らしく、とにかくどこもかしこも工事中 |
目抜き通りのグラフトン・ストリートには路上ミュージシャンもあちこちに。映画『Once ダブリンの街角で』で主人公が歌っていたのもこの通りじゃないかな。
グラフトン・ストリート。ブティックも建ち並ぶ中、路上の花屋さんが印象的だった |
いい声の女の子 |
St.Stephan's Green Shopping Center。フードコートが便利。トイレは有料なので小銭に注意 |
大急ぎで走ってホテルに戻ってチェックアウトと同時に、高速バスの乗り場へのタクシーをお願いする。1時15分発なのに、もう12時50分だった。
死にそうな顔の私から事情を聞いたホテルのお姉さんは「OK、すぐにタクシーは来るから。とりあえずお茶でも飲んだら?」とビュッフェで待たせてくれた。なんていい人なんだ…(涙目)。タクシーが来ると、奥で預けたスーツケースを慌ただしく持ってきてくれ、何から何までお世話になってしまった。
道はあちこち工事中だったため混雑していたが、高速バスはキャンセル待ちの客の対応で時刻を過ぎてもまだ乗り場に停まっていた。やったー!!!
すし詰め状態のバスに乗り込むと、一路ゴールウェイへ。直通バスで3時間弱の道のりだった。
ちょっとさよならのダブリン |
アイルランドへ行こう2:ツアーバスも面白いもの
あんなに「アイルランドに晴れはない」と天気予報を見て絶望していたのに??
街を離れて小一時間ほどで辺りの景色は緑に満ちてくる。
入り口にバグパイプのひと |
相席になったドイツ人の学生メガネ君は、試しに上の湖を見に行ったそうだが、「下と大体同じだった」と苦笑した。さらに結構距離があったせいか帰りはほぼ走ってきたらしく、半袖になっていた。
うん、アイルランドらしくなってきたぞ。
もちろんたいていは数カ所のホテルを回ってくれるが、全てという訳にはいかない。一般のツアーで初心者にも分かりやすい待ち合わせ場所となると、ダブリンの本当の中心部が多く(そういう場所のホテルはバカ高い)、私のホテルからは30分以上もかかってしまう計算だった。地の利がないと距離感が分かりにくいので、待ち合わせ場所に行きやすいものを選ぼう。
アイルランドへ行こう1:ディレイとタイマン張ろう
8,9 Jun 2017
それは波乱の幕開けだった。
体力限界値で仕事終わりに上野へ駆けつけて空港前日泊をした私は、深夜にスカンジナビア航空(SAS)から翌日のフライトの遅延(ディレイ)を告げられた。
「まじか…」
前に友達から「SASは遅延しやすいらしいよ」と言われていたのでちょっと不安になっていたけど、これまで大丈夫だったから安心していたのに!
初めての搭乗前遅延の知らせにうろたえたものの、時間の予測がつきにくかったのでとりあえず空港へは当初の時間通りに向かった。案の定カウンター前は同じような人たちで混み合っていた。
飛行機の便が、事前にきちんと振り替えられていたのは助かった。
当初の予定ではオランダのアムステルダムで乗り継いで、夕方にはダブリン着だったのだが、遅延でダブリン行きの飛行機には間に合わず、3時間だらだらスキポール空港をぶらついて過ごしてからダブリンへ。空港到着は夜の10時過ぎになった。
宿泊するホテルの担当者もいなくなってしまうと聞いていたので、成田空港に到着した時点でホテル側にメールし、「近くの姉妹ホテルの担当者をその時間にいるようにしておく」とアムステルダムで返事をもらっていた。さらに念のために、ダブリン空港でも空港の人に電話を借り、ホテルに連絡を入れた。
アムステルダムのスキポール空港。仮眠用のホテルもできていた |
夜のダブリン、街の中心部から少し離れると街灯のオレンジ色ばかりが目立つ。なんとなく日本とおんなじだ。
タクシーの運転手さんに、つたない英語でダブリンや近郊のお勧め観光地を聞くと、ちょうど翌日行こうとしていたグレンダーロッホをあげてくれた。
ホテルはダブリン中心部のリフィー川に架かる橋を渡り、似たような形のドアがずらりと並ぶ住宅地の一角にあった。
待ち構えていたホテルの男の人は、ドアを開けるなり、「ついに着いたね」と笑った。
ホテルにはエレベーターはなかったが、私の部屋はさいわい玄関から一番近い部屋にあり、重たいスーツケースを運ぶ苦労はなかった。部屋はツインで天井は寒いくらいに高く、、シャワーにバスタブつきのバスルームもあり、随分しっかりしている。なかなかいい部屋だ。
ティーパックの紅茶を入れて一息つき、ようしシャワーでも、と思いバスルームを確かめた途端、「なんだこれ」と思った。
壁にあの見慣れたシャワーのコックはなく、代わりにダイヤルがついているのだが、どう触ってもどう考えても使い方が分からない。しかなしお風呂に入らないと疲れて倒れそうだ。さっきドアを開けてくれた男の人に使い方を尋ねたいが、代理で待っていてくれただけだから、私を案内したらもういなくなってしまったかもしれない。
走馬燈のようにぐるぐると思考が脳内を駆けめぐったあと、「いや、まだホテルの人はいるかも!」と一縷の望みにかけて部屋を出た。瞬間、背後で自分のドアのロックが閉まる音がした。こんなところでオートロック!!
鍵を室内に残したまま閉め出された私は、受け付けへとぼとぼと歩いていった。
案の定、人気がない。そばの電話の横に書かれた「~時から~時までお電話でお答えします(今は受付時間外)」のメモを見て、私は思わず「うぇええ…」とうめいた。すると、受付の奥からさっきのホテルの人がひょいと顔を出した。
「どうしたの?」
地獄に仏とはこのことだ。
「シャワーの出し方が分からなくて、聞きたかったんだけど、部屋から出たら閉め出されました」
深夜にこんなマンガみたいなせりふを吐くことになるとは誰が思っていただろうか。ホテルの人は(うわぁ…)という哀れみに満ちた表情で私を見つめ返し、「ごめん、部屋がオートロックって言うの忘れてたね…」と謝ってくれた。
部屋に再び入ることができ、ホテルの人もシャワーの出し方に悩みながら(結局よく分からなかったらしい)なんとか方法を見つけだし、あわただしい移動日は日付をまたいでようやく終わった。
クローゼットに上着を掛けながら、「き、来た…」とじわじわ実感した。海外に来たのは久しぶりで、なんとか来れたのは正直嬉しかった。それと同時に、死ぬほど疲れ切ってもいた。
翌日朝からのバスツアーに向けて、まずは寝ることにする。
アイルランドへ行こう0:旅の準備は胃痛から
のろのろと旅の記録を書き終わらないうちに次の年が来て、また新しい場所の思い出が増えていく。旅は楽しいのだけれども、まとめられないのはちょっともったいないとも思う。だって思い出せるものは、新しい記憶にはとうていかなわないから。
それでもまた少しだけでも書いておこうと思うのは、やっぱり面白いことが毎回次々と起こるからだ。
旅する直前も旅している途中も、たいてい大変で気苦労が絶えないけれども、後になって思い返すとだいたい楽しいことしか覚えていない。後にも先にも、人生でそんな体験ができる瞬間はそうない。
だから今年もまた少しだけ旅のことを書き残しておこうと思う。
ところで……旅(の準備)が苦手だ(出オチ)。
そこから??と言われてもすごく苦手だ。2ヶ月も前に場所を決めて、宿の目安をつけるためにサイトをにらみ続けて、毎晩深夜まで悩んだ結果出発3日前にやっと最終日の宿を確定したくらい苦手だ。
そんなていたらくなので、何の苦労もなくサクサクと準備ができる人をとても尊敬してしまう。優柔不断のまま計画をたてようとすると、今度は体力がないのでまためげそうになる。
「なぜそこまでして旅に行くんだ」と言われるけれど、「だって行きたいんだもん」と答えるほかない。「心配」の迷彩服をまとって匍匐全身しているような人間にだって、旅が好きだというハートはある。
ことしの目的地はアイルランドに決めた。
きっかけは俳優コリン・ファレルへの再燃(『ファンタスティック・ビースト』を4回見た)と、昨年何本かのアイルランド映画を見る機会に恵まれたから。
コリン・ファレルの出演作を数本と、80年代ダブリンのティーンロック映画『シング・ストリート』、伝説に発想を得て紡がれた美しいアニメ『ソング・オブ・ザ・シー』を見て、これはアイルランドしかないと思ったのだ。
恥ずかしいことにアイルランドの知識はイングランドに比べるとあまりなくて、何冊か本をとばし読みして、旅の一週間前になって死にそうな目をしながらも、さらに独立運動時の歴史を基にした映画『マイケル・コリンズ』と、昔見て大好きだった80年代ダブリンソウル映画『ザ・コミットメンツ』(80年代アイルランドは大不況下で、当時を描いた映画にもその影がちらついている。でもこれは最高に楽しい)をなんとか見た。
正直映画を見ている時間を準備に使えたのでは??と後から思わなくもないが、現実逃避をしないとテンションすら上げられないのでどうか分かってもらいたい。
そのほか、心配性の一人旅準備はだいたいこんな風だ。
2ヶ月前
・飛行機の予約
・宿を探す、仮予約(ブッキングドットコム。でもぎりぎりまで仮押さえできてしまうため、レビューを読み続けて迷いが生じる原因に…)
・行く場所を何となく決める
・空港前日泊の場合、近場のホテルを予約
1ヶ月半前~2週間前
・ガイドブック(地球の歩き方、ロンプラ)や参考書(新書のアイルランド関連本など)を読んで行く場所のリストをつくり、予定期間内のスケジュールを日毎にぼんやり決める。しかし本を読みすぎると情報過多になってほかのことができなくなるので注意しよう。ヨーロッパの場合、施設や教会などが月曜休みが多いのも気をつける
・旅先で観光地などの目的地に一発でたどり着ける自信がない・あるいは行きづらい場合、現地のバスツアーをネット予約する。ツアー会社はいくつもあるので、余計な場所に行きたくない人は目的地を絞り込んで検索
・都市間を移動する場合の交通機関を確認。私は今回ダブリンーゴールウェイ間直行の高速バスをネット予約した
現地の高速バスの予約でもひと騒動だった。
オンラインで予約できるのだが、予定日のチケットをカートに入れても精算がうまくできず、やり方を聞くためにバス会社の人に辞書を片手にメッセでやりとりしてなんとか予約した3分後、日にちを間違ったことに気づいて「ばかーーーーっ!!」と深夜に叫び出したくなった(予約しなおしました)。
この通り、心配性の旅の準備で一番大事なのは、ストレス負荷が半端ないのでできれば早く寝てシンプル思考を保つことだと思う…。
この間、旅のプロの友人たちに6日置きくらいで電話したりメールしたりし続けていた。「とりあえず落ち着け!!」と後になってからつくづく思うし、つきあってくれた友人たちには感謝しかない。
ほかにも問題は山積みで、なぜかスーツケースは出発時から両方が埋まっているため、パッキングの才能もほしいと思い続けている。
何か良い方法があったらいつでもアドバイスお待ちしています。
ギルモア・ガールズ/愛すべき彼女たち
■Gilmore Girls
コネチカットの田舎町、スターズ・ホローに住むローレライ・ギルモア(ローレン・グレアム)と高校生の娘ローレライ「ローリー」(アレクシス・ブレデル)。ローレライは16歳でローリーを生み、未婚のまま、ホテルの経営者として女手一つでローリーを育ててきた。学業優秀で本が大好きなローリーは、地元の高校から名門のチルトン高校に転入することになる。
ザ・ラーズのThere She Goesが鳴り響く中始まるファーストシーズンの1回目、ローレライとローリーは、確かに母子なのだけれど少し年の離れた友人同士のような気安さがある。おなじみのカフェで一緒にコーヒーを飲むのが好きで、喧嘩をしても同じメイシー・グレイの曲を聴いて気分を落ち着かせる。
ローレライのホテルには、親友でおっちょこちょいなシェフのスーキー(『SPY』『ゴースト・バスターズ』のメリッサ・マッカーシー!)ら個性的な従業員たちがいる。
1ー1では、ローリーに名門校への入学が許されることになり、母子は大喜び。けれどもチルトン高へ入るには莫大な入学金や雑費が必要だった。ローレライは悩んだあげく、疎遠だった裕福な実家の手を借りることに。ローレライの母親、エミリー(ケリー・ビショップ)は借金の交換条件として、毎週金曜に母子がディナーを共にすることを提案する。ローリーのために不承不承頷くローレライ。しかしローリーはもうすぐおさらばするはずの学校で、かっこいい転校生ディーン(ジャレッド・パダレッキ)に出会ってしまい、名門校入学への意気込みが一気に下がってしまう。
『ギルモア・ガールズ』は2000~07年までアメリカで放送されていたドラマで、シーズン7まで制作されている。今はNetflixで視聴可能だ。
このドラマにリアルタイムで出会えていたら!と思わずにはいられない。せりふの端々が細かなカルチャーネタやジョークに満ちていて思わず吹き出してしまう。
私が好きなのはローリーの友達で韓国人のレーン・キム(ケイコ・アジェナ)。ロックが大好きだが、アンティーク店を経営する厳格な母親がいるために家の中ではおとなしくしていないとならない。そんな彼女が、1ー2の冒頭では、「XTCの新譜が出た!!」と叫んで駆け込んでくる。この子が隣に住んでいたらどんなに楽しいか!!
★Music we learnd from Gilmore Girls:NY Daily News
いくつか好きな台詞を挙げてみた。(Netflix字幕準拠で、時々飛ばされている台詞や間違いもある)
ローリーがディーンと初めて会話をするシーン。荷物を片づけていたローリーがいつのまにか目の前に立っていたディーンに、「ルース・ゴードンみたいに突っ立ってないで、何か音でも立ててよ」とぼやく。それにディーンは「『ローズマリーの赤ちゃん』か、いい趣味してる」と答える。
RORY:God! You're like Ruth Gordon just standing there with a tennis root.Make a noise.
Dean:Rosemary's baby.
RORY:...Yeah.
Dean:Well,that's a great movie.You've got good taste.
ルース・ゴードンはロマン・ポランスキーの映画『ローズマリーの赤ちゃん』での怪演が評価された女優だ。それから、二人はローリーが熱中して読んでいたメルヴィルの『白鯨』についても盛り上がる。ちなみにディーンを演じたジャレッド・パダレッキは、後にドラマ『スーパーナチュラル』の弟サム・ウィンチェスター役で人気を博す。
ほかにも例を挙げると、ピリピリした憂鬱な金曜のディナーを終えた後、げんなりしたローリーがローレライに「いつまでこのディナーは続くの?」と尋ねる。ローレライは「たぶん私の葬式でぶちまけられるデリが最後ね」と答えるのだ。
RORY:So,how many meals is it goona take till we're off the hook?
LORELAY:I think the deli spread at my funeral will be the last one.
1ー2ではついにチルトンに転入したローリーだが、勉強はハードな上に意地悪な同級生たちに目を付けられてしまう。シーズン7まであるけれど、一話40分少しなので、少しずつ見ていきたい。
あと、親子が帰りがけに寄るおなじみのカフェも過ごしやすそうでいい。私もこんなカフェに帰りに寄りたいな~。